2004年04月26日

暁の生徒会室-2

文化祭費の不足分は、OBからの寄付で順調に補填されていった。
私は以後も20万円程度寄付を得、他の役員たちも手分けして100万円程度を集めた。
「230万円集まったわけね」
京子は資料を見て言った。
「30万円余るわね」
慶子が京子をちらりと見た。
「桜子に返す?」
私は、京子と慶子の様子をじっと見守っていた。
京子は、少し硬い表情をしてから言った。
「いいわ、今回は桜子の餞別ということで貰っておきましょう」


桜子は既に転校していた。
桜子のいた書記長の机には、副書記長の藤原英太がいて、太めの体を椅子の上に落ち着かせている。

来年閉校になることは、校長が既に発表していた。
生徒たちは、各々新しい学校に行くために転入試験を受けたり、
また河埜が斡旋した学校への転入手続きを取っていた。
それでも、すぐに転校する学生はあまりいないようだった。
「学園祭を最後に一斉に転校ということになるのかしらね」
京子がぽつりと呟いた。
「京子、あなたの推薦はどうなるの?」
「それは大丈夫。一応卒業までは私この学校にいるし」
「そう……」
 
展示の方は、各クラス・サークル、クラブからの出し物が出揃い、予算の折衝が始まっていた。
「この30万があれば、みんなにも大盤振る舞いができるでしょう」
京子は資料を脇に抱えて生徒会室を出た。
「少し矢部先生のところに行ってくるわ」

私は少し仕事の時間が空いたので、PC室に行って時間つぶしをすることにした。13号館に歩いていく途中で、生徒たちがベニア板をつかって展示の準備をする姿がちらほらと目立ち始めた。秋の夕方は、すぐ暗くなる。私は少し寒気を感じて、早足になった。
PC室で私は2ちゃんねるを閲覧した。
この前さゆりが言っていた、援助交際をしているという河埜学園の生徒のことが気になった。私は、そのスレッドにリンクが貼られているいくつかの出会い系サイトの名前と、スレッドに書かれていたその生徒のHNをキーにしてGoogleで検索を掛けてみた。
すると、20件くらいがヒットし、私はプロクシを挿してその出会い系サイトをフリーメールのアカウントを用いて探索した。その中の一つに該当すると思われるサイトがあった。
うちの生徒らしい書き込みが残っている。

12334: ちぃBB
  東京で今すぐ会える男性のかた、いらっしゃいますか?
  ↓のメールアドレスまでお願いします。


私はちぃBBのメールアドレスを入手した。
「どうやら携帯電話からだな」
メモしながら私は考えた。

10月のある土曜日、私は都内の私立高校の編入試験を受けた。
入学は来学期からとなる。
私は、試験会場であるその学校へは私服で行ったのだが、受験生の中に河埜の生徒で見覚えのある顔もかなりあった。
その中で私は副会長の佐藤の顔を認めた。
「副会長」
「ああ、荒巻くん」
「妙なところで出くわしたね」
「そうだねへへへ」
佐藤はぬめっとした顔の中に隠れたヘビのような目を向けながらその場の雰囲気のいづらさを誤魔化すように言った。
「試験はどうだった?」
「ああ、できたよ」

佐藤と私は一緒に帰りながら試験の問題やその学校について話した。
「君もここにするの?」
佐藤が尋ねた。
「多分ね。君は?」
「あともう一つ受けてみるよ」
「へえ」
「ここは、ちょっと家から遠いんだ。ここも悪くないけど、もう少し近いところがいいな」
「なるほどね」

セブンイレブンの自動ドアが開いた。中で売っているおでんの湯気が暖かそうに立ち上っている。私は佐藤の方を向いた。
「長谷部さんってさ」
それを聞くと、佐藤は少し眉を顰めたように見えた。
「長谷部先輩が、どうかした?」
「桂先輩のことが好きだったそうだね」
佐藤は一瞬沈黙した。
「……そうだよ」
「去年までのことはよく知らないんだ。生徒委員として外回りが多くて、生徒会室にはいなかった。君はずっと生徒会室の仕事だったから色々知っていると思ってさ」
「……もう過ぎたことだよ」
「そうだね。だが、気になるよ」
私は、沈黙を以って佐藤に圧力を加えた。
佐藤はプレッシャーに負けた。
「……長谷部先輩は、会長、勢堂さん、桂さんをスカウトしたんだけど、前の文化委員長の上原先輩は長谷部先輩と桂さんが付き合っていることに気付いてしまったんだ」

佐藤は私の顔を見た。
「そうだよ。あの二人、つきあってたんだ。男同士で。化学部の先輩後輩ってだけじゃなかったんだよ。上原先輩、二人が抱き合ってキスしているの見ちゃったらしいんだ。上原先輩は長谷部先輩のことが好きだったんだよ」
私は、長谷部先輩の男らしい顔つきを思い出した。
そして桂の悲しそうな大きな目も。
上原栄子の、意志的な強い視線が、あのとき桂を捉えていた。
「女に好きな男取られたならとにかく、よりによって相手は男だもんな。上原先輩そりゃブチ切れるよ」
そこまでは私が既に知っている話だ。
「上原先輩、それまでは桂先輩に目を掛けていたんだぜ。自分が好きな長谷部先輩のお気に入りの後輩だと思ってさ。ところが実は自分の恋敵だったんだからなあ」
佐藤はぬめぬめした笑いを零し、私は少々嫌悪感を覚えた。

私は、去年の文化祭の後片付けのときに起きた騒ぎを思い出した。
焼却炉の前は、文化祭のゴミで一杯だった。
生徒会の役員が次々とゴミを分別、分解し、手際よく焼却炉に投げ込んでいく。
そのとき、騒ぎは起きた。
私は丁度その時クラスの展示のゴミを纏めて持って来たところだった。
「何やってるのよ、トロいわね!!」
当時の文化委員長の上原栄子は、憎しみを込めた目で当時の文化副委員長の桂を睨んだ。
「ぼ、ぼくは……」
 桂はおどおどした様子で言った。
次の瞬間、栄子の細い手が舞って乾いた音が鳴り、
桂の頬が赤くなった。
「あんたみたいな……あんたみたいな奴!!」
栄子の顔は憎しみで歪んでいた。
私は、あのときの栄子の表情が忘れられなかった。

「あのとき、会長いや、当時は副会長か。どんなポジションだったの?」
私は佐藤に聞いた。
「二条会長も、長谷部先輩のこと好きだったよ」
佐藤はゆっくりと言った。
「うん、好きだった」
頷きながら言った。
「長谷部先輩の仕事している様子を、じーっと見てたよ、会長は。」
 佐藤は遠い目をした。
その姿に、佐藤の何とも言えないやるせなさが滲み出ていた。
「君、もしかして会長のこと」
それを聞くと、佐藤のぬめりとした顔が急に引き締まった。
「何を言うんだよ荒巻」
それから少し肩を落として、小声で言った。
「俺は……あの人に仕えることができればそれでいいのさ」
それから少し上を向いて、目に溜まった何かを落とすまいと必死に我慢している様子を見せた。
「幸せだったよ、京子先輩と一緒に働けて」
本当に京子のことが好きなのだ。
佐藤が急にいい奴に思えてきた。
もしかしたらそれほど悪い奴ではないのかもしれない。
駅に着いた。
私たちは、そこで別れた。
佐藤は、次の日に行われた別の高校の試験に受かり、月曜日から学校を去った。
私は、生徒会の特別規定によって執行委員会で副会長に選出された。

その日最後の授業は体育だった。
私はマラソンを終えて汗を拭きながら運動場の南側にある柔道場の側を通った。
畳が擦れる音が聞こえる。
ちらりと開いている窓から中を覗くと、勢堂がいた。
「よおっ、副会長殿」
勢堂は坊主頭から湯気を出しながら、道着の乱れを直した。
「先輩っ、もう一本お願いします!!」
彼の向こうで、気合に満ちた声でおかっぱの女子部員が稽古をせがんだ。
「ああ、ちょっと待ってろ。雪乃に相手してもらってろ」
そう言ってから勢堂は私の方に振り返った。
「あいつ、結構見所あるんだ。女子部員じゃもう歯が立たないから、男子とやってるんだけどな」
私は汗を拭きながら女子部長と稽古をする生徒を見た。
「まだ1年だし、もうちょっとここで伸ばしてやりたかったな」
 勢堂は寂しそうにいった。
「で、何か用か?」
思い出したかのように一瞬の陰鬱から抜け出して勢堂は言った。

「ええと……」
考えてみれば、用などないはずだった。
たまたまここに寄って中を見ただけだ。
だが、言われてみて、私は聞きたいことがあるのに気がついた。
「ちょっといいですか?」
「ああ」
勢堂は柔道着の中の汗をタオルで拭きながら柔道場を出た。
「何だ?」
「会長と長谷部先輩、それから桂先輩の関係についてです」
 余計な詮索などしないのが私の身上だったはずなのだが、桜子から事情の一端を聞いてからは、長谷部を巡る人間関係は私の関心の中心を占めるようになっていた。無論、現在自らが生徒会副会長なのだから、以前の生徒会の人的関係について知識を持つのは職務上当然だという正当化は心理防壁として張り巡らしてはある。

「ふむ」
勢堂は、ため息をついて目の前のロッカーを見た。
意志的に見たというより、視線を固定するためのつっかい棒を探してという感じだった。
「どの辺まで知ってるんだ、お前」
鋭い眼光を滲ませて、勢堂は私を見た。

「長谷部前会長と桂文化委員長がつきあっていたというところまでです」
それを聞いて、勢堂はじっと黙り込んでから言った。
「余計な詮索だとは思わんか?」
「そうとも考えましたが、私は現在副会長です。生徒会執行部内の人的関係について一応の知識を有するのは職務上の義務です」
「ふむ、うまい言訳だな」
勢堂は苦く笑い、それから普段とは全く違う繊細な表情を見せた。
「俺は中2のときに長谷部先輩からスカウトされて、会長や桂と一緒に生徒会に入った。初めて生徒会室で桂に会ったときは、長谷部先輩と桂はとても仲が良さそうだったが、化学部の先輩と後輩ということで、あのときは大して不思議ではなかった。」
勢堂はあごをしゃくった。
「帰るときは二人は一緒だったし、とにかくいつも一緒にいたな。だから、俺たちが高2のとき二条が副会長になったときには意外に思ったものだ。桂が副会長になるとばかり思っていたからな。だが、長谷部先輩は自分のお気に入りと政治的後継者を区別する分別は持っていたのさ。」
それを聞いて、私は京子の言葉を思い出した。
「長谷部先輩は私が後任として適任と認めたから私を指名した。私はあなたを適任だと思うから指名する。それだけよ」
あの言葉は、京子が長谷部から言われた言葉を京子が言い直した言葉だったのかもしれない。
「会長は、長谷部先輩と桂委員長のことを知っていたんでしょうか?」
それを聞くと、勢堂は少し話し辛そうな、眩しげな表情を垣間見せた。
「ああ、多分な。上原先輩よりはずっと前に知っていたと思うよ。」
「上原さんはずっと知らなかったんですね?」
「そうさ。上原先輩は長谷部先輩と6年間同じクラスだったんだぜ。それで中1から長谷部先輩に一目惚れだったんだ。生徒会に来たのも長谷部先輩と少しでも長く時間を過ごすためだという専らの噂だったよ。だが、あの人はどうも他人の気持ちに疎いところがあった。去年の文化祭の前に上原先輩が化学室に長谷部先輩を探しに行って、二人の姿を見てしまったとき、どれほどの衝撃だったかは想像に難くないな。あの日、俺はたまたま体育委員会の帰りだった。体育委員長が休んだので俺が議長をしたんだが、生徒会室へ戻っていく途中上原先輩を見てね。鬼みたいな顔をしていたよ。二人を見たすぐ後だったのだろうな。今から考えれば納得が行く。」
そう言いながら、勢堂は少し口の端を上げた。
「いや、怖かった。俺はあれほど女を怖いと思ったことはない。何かオーラが上原先輩から立ち上っていたよ。」
「それから桂先輩へ当り始めた、というわけですか」
「そうだろうな」
そのとき、柔道部の中から女生徒が現れて言った。
「先輩、やっぱり雪乃さんじゃダメみたいですよあの子」
「おっ、そうか。じゃやっぱり俺が稽古をつけてやるか」
そう言って勢堂は私の方に振り向いた。
「そういうわけだ。じゃあな。」
 私は一礼して柔道場を去った。



文化祭の前日、私たち生徒会執行役員は前夜祭の準備に追われていた。校内は活気に満ち、昨日までの閉校の沈滞した雰囲気はどこかへ消え去っているかのようだった。
だが、確実に生徒の数は減っていた。
みな転入試験を受けて次々と河埜学園を去っていったからだ。
生徒会役員でも、副会長の佐藤、書記長の桜子が学校を去っていた。

私は副会長に指名され、各委員長たちよりも名目上は上の立場に置かれることになった。
だが。
「副会長、資材が少し足りないんだけど、何とかなる?」
「あ、その書類まだ決裁してないんだけど。会長今いないから副会長決裁でいい?」
「ちょっと副会長、今会長いないから代わりに業者さんに会っておいて」
つまり名目上は彼らよりも上というだけで、実際には便利屋だった。それでも私は力を振り絞ってこの仕事に精励した。
中学から5年間いた学校の最後の思い出になるだろうからだ。
 
 
私は副会長席に座り、講堂の設置についての図面と、去年のプログラムを見比べて、とある案件に頭を痛めていた。
すると、私の後ろから声が聞こえた。
「副会長、そこは去年は飛ばしてたよ」
振り返ると、そこには佐藤がいた。
「やあ」
佐藤は、河埜の制服を着ていた。
「どうしたんだい? 戻ってきたのかい?」
佐藤は照れくさそうに笑った。
「ああ……この文化祭の期間だけ手伝うよ。矢部先生も大目に見てくれるってさ。それに、人数足りないんだろ?」
「そうなんだ、頼むよ」
見ると、桜子まで来ている。こちらはジャージ姿だ。
「おす」
「先輩!」
桜子は、あるものを私に渡した。
「クラスでたこ焼き屋やるんだけど、すこし貰ってきたのよ。食べなよ。」
「ありがとうございます」
「私も手伝うよ。だからこんな格好してきたの。」
桜子はジャージ姿で一回転した。

学校のあちこちで、生徒たちの作業の音が聞こえてくる。明日講堂で演奏するバンドの練習の音がクラブのプレハブの方からか、聞こえてくる。学校は、非日常に染まりつつあった。私たちは桜子の持って来たたこ焼きをつまみながら仕事を続けた。
「そろそろ講堂設営班は移動した方が」
私は桂に言った。
「う、うん……」
桂は大きな目をとりとめなく動かしながら言った。
さっき戻って来た京子は、私たちに目もくれず書類の山に埋もれて作業し、携帯電話であちこちに指示を与えている。
「おい牧田、中3率いて椅子出しやっといて。井出さんはもうあっち行ってるみたいだ。」
私は新生徒副委員長である牧田秀雄に命じた。
辺りはいよいよあわただしくなってきた。

私は7号館をぶらぶらと歩いてみた。中学生のクラスが入っている建物である。様々な展示や模擬店の準備が行われ、外から様々な資材が運び込まれて、教室は普段とは全く異なる様相を呈している。生徒たちは喧騒の中で設営に余念が無かった。私がとある天文についての展示を見ようと中2の教室を覗こうとしたときだった。
「あっ」
私の胸に、少女がぶつかった。
「す、すいません!」
少女は後ろを振り向きながら外に行こうとしていたのだ。
「いや、こちらこそ。少し面白そうな展示だったから、覗いて見ようかなと思ったのさ。」
 その少女は、人なつこそうな眼と、肩まで伸びた艶やかな黒髪の持ち主だった。匂い立つような稚気が私の印象に残った。
少女は、私の顔に気付いて驚きの声を上げた。
私の顔を、目を大きくしてじっと見ている。
「荒巻先輩」
私はその少女の顔に少し見覚えがあった。
「ん?」
「先輩、生徒副委員長でしたよね? 私もこの前から生徒委員なんですよ」
そうだ。生徒委員会で見たことがあったのだ。彼女の場合も、同級生が転校してそれを襲って就任したというわけだろう。
「そうか、だが私は今は生徒会の副会長になって、副委員長は別の人がやっているよ。」
「出世されたんですね。おめでとうございます」
少女はぺこりとお辞儀した。
消えゆく学園の生徒会副会長か。
考えてみるとシュールで皮肉なポストといえるかもしれない。だが、少女の真情は私にとってそれほど不愉快なものではなかった。
「ありがとう。君は確か……」
「あ、小島です。小島美沙」
美沙はにこりと笑った。えくぼができている。
「ちょっと資材もらってくるんで、失礼します先輩」
美沙は一礼してからたたたと小走りに走り去った。
 私は中の展示を見ようとも思ったが、美沙の同級生、特に女子生徒たちの意味ありげな微笑みの輪に圧倒され、早々に教室を出た。

7号館を出たとき、携帯電話が鳴った。
「もしもし?」
「もしもしじゃないわよ。ちょっと暗幕の件どうなってるの?」
京子だった。
私はその事情について説明し、京子の了解を得た。
「わかったわ。それにしても、あなたには電話番号を教えてなかったわね。今掛けている番号も井出くんから聞いたのよ。あと、メールも送っておくわ。私の電話番号とメールアドレスも登録しておいてね。でないと連絡に不便だから」
そういえば、今まで私は京子の携帯電話番号もメールアドレスも知らなかった。今までは単なる下役だったのだから、特に必要もなかったが、副会長ともなるとそうはいかないだろう。事実、今のような修羅場には各上級役員の携帯電話番号やメールアドレスは必須の情報だ。
私は嘗ての上役の井出の携帯電話番号とメールアドレスしか知らなかった。

午後8時。
校庭の一角での前夜祭のイベントも終り、一般生徒は帰り支度を始めた。だが我々役員はそうはいかない。一部の生徒もまだ設営の仕事が残っている。既に夕方のうちに明日以後の騒擾に目を瞑ってもらうために周辺の住宅への訪問は終えてある。それでも訪問したときに家人がいなかった家もあり、その分について私たちは分担して訪問した。
午前0時。
ようやく文化祭の設営が終わった。だが、毎年役員は慣習として居残り、学校に泊まることが認められている。もっとも、一般生徒の中にも部室に隠れたりしてなんとか学校で一夜を明かそうと目論む者も多い。そしてこの日ばかりは学校のお目こぼしもある。だが、破目を外しすぎる者がいないよう、結局我々役員が見回りをしなければならない。

井出と勢堂、それから桂は既に柔道場で仮眠を取っている。彼らは今日最も働いた者たちだ。疲れているだろうし、明日も今日以上に働かなければならない。女子の役員で慶子のように帰った者もいるが、京子はどうやら生徒会室でずっと起きているようだ。徹夜は好きだという話だが、どうせ仮眠を取るのだろう。 私と2年生で文化副委員長の室生さゆりと、副書記長の藤原英太を引き連れ、生徒会の腕章をつけて校内の巡回に出発した。出発するとき、佐藤と桜子が生徒会室に残っていた。
「真っ暗な学校っていうのも、ちょっと雰囲気あっていいわね。」
さゆりが少し興奮して言った。
今日はずっと働き通しのはずだが、さゆりはかなり元気なようだ。
見慣れた校舎や講堂も、ゴミの焼却炉さえ闇の中では果てしなく不気味な佇まいを見せている。それに、11月の夜はかなり冷える。私もマフラーを掛けているし、さゆりも制服のコートを着ている。英太は太っているせいかあまり寒さは気にならないようだ。
私たちは中学生のクラスが入っている7号館に入った。各教室を見回る。見回りをしているうちにこっそり隠れている生徒に出くわす場合もある。タバコや酒をやっている以外は、ほとんどの場合は見逃す。やっていた場合はどうするか? ここだけの話だが、これも一応の注意だけをして見逃す。それが伝統なのだ。
だが、正体なく酔っ払っている者だけは捕らえて水道の水で酔いを覚まさせる。さっきも、10号館にある高1のクラスの近くで女子が一人階段を完全に酔いながら歩いていたので、不本意だが私たちは彼女にたっぷりと水を飲ませた。 
また、時たま生徒のカップルがキスをしている場面にも出くわす。セックスをしていない限りは大目に見る。
私は、少し前に美沙と出会った教室に入った。
電気をつける。
展示のためのベニヤ板の仕切りの向こうに、何か気配を感じた。私はそちらの方へ進んでみた。
「おっ……」
「へへぇ」
美沙が、数人のクラスメートとそこにいた。
「仕方ないなぁ……居残り組か」
女子が3人に男子が2人だ。
「先輩、大目に見てくださいよ。ねっ?」
美沙が私に手を合わせた。
「お前生徒委員だろうが……」
 私は苦笑した。
「どうしたの?」
そのとき、手分けして見回りをしていたさゆりが入ってきた。
「あっ、隠れてたのね」
「すいませんっ!」 
美沙がぺこりと頭を下げた。
どうやら、8時に帰ったふりをして戻ってきたようだ。

「もう終電だってないしなあ……」
私は時計を見た。
「わかった、大目に見るから、女の子だけ没収。男は好きにしてろ。だがあまり派手に動くな。眠くなったら柔道場に行け。」
性差別的かもしれないが、流石に女子を、それも中学生をこんなところに置いていくわけにはいかない。10時の見回りをなんとか掻い潜ってきたのだから、まあ根性を買って大目に見るとしても、彼女たちに寝床は与えるべきだった。
「女子は、生徒会室の近くの教室に布団が置いてあるから、そこで寝ろよ。見張りもいる。」
女子の生徒会役員が寝るために、そこには布団がいくつか置いてある。だが、寝袋を持って来ている者もいるので、余りがないわけではない。教室の前には交代で女子の見張りをつけることになっている。
「はーい」
少女たちはつまらなそうな顔をして私たちに従った。
だが、目を輝かせていた美沙の「はーい」の声のトーンは他の2人のそれと違っていた。
教室を出て、私たちの一番後ろを歩いていた美沙は、暗闇の中で私の手を掴んだ。
積極的な子だ。
私は、暗闇の中でそっとその手を握り返した。

私は、そ知らぬ風を見せて私の隣を静かに歩く美沙に、奇妙な愛おしさを覚えた。
想いとは、こうして受け継がれていくのかもしれない。後輩から先輩へ、そしてその先輩へ。逆に先輩から後輩へ。そしてその後輩へ。
私は、この学校で受け継がれてきた「想い」の最終走者になりつつある自分の姿に少し感傷的になった。

結局美沙たちは友達の家に泊まったということになっているようだ。去年は1年生でまだそんな冒険はできなかったが、今年は是非校内で一晩過ごしてみたかったらしい。
「しようがないな」
私は美沙を見た。
「先輩は中学生のときは教室に泊まったりしたんですか?」
「いや、それはないね。ただ、私は前に写真部にいたのだが、その暗室に隠れていたよ。」
「そっかあ、暗室ね」
うんうん、とばかりに美沙は頷いた。

写真部。暗闇の中に浮かぶクラブのプレハブが私たちの手前に見えた。その佇まいに私は懐かしさを覚えた。テニス部は故障もあって中2の夏で辞めてしまった。その後、友達に誘われて写真部に入った。あの部室の後ろにある壁を乗り越えて、コンビニに食べ物を買いに行ったものだ。壁の近くによく猫が何匹か屯していて、帰りにパンのかけらを少しやったことがある。猫たちは生徒たちから食べ物を貰い慣れているせいか、私たちを怖がるでもなく、逆に感謝するでもなく、当たり前だという顔をして食べていた。
だが、写真部を辞めてあの部室に出入りしなくなってからは猫たちともご無沙汰だ。
フリージアの写真を撮った次の日、その黄色い花が枯れていたことがあった。私は、散った花びらの前で、前の日撮影した写真の美しさを見て、あることに気がついた。私はあのとき花をカメラ越しに見るだけで、あまり直接あの花と対峙することはなかったのではないかということだ。随分と勿体ないことをしていたのではないだろうか。
私が写真に前ほどの興味を覚えなくなったのは、カメラを通して物を見るよりも、直接物を見た方がいいのではないかと思うようになったからだ。また、感動の再現ということにも、疑いを覚えるようになった。一期一会という言葉がある。私は対象との遭遇と認識は一種の一回限りの出来事だと考えている。それを記録に取って繰り返して見るのは、後で見ることができるからといってその場の感動を疎かにしているということであり、あまりいいことだとは思わなくなったのだ。

美沙と友人の2人の女子生徒を寝室に連れて行った私は、見張りをしている高1の女子の生徒委員に挨拶して生徒会室に向かった。ふと振り向くと、ドアのところから美沙がこちらを向いてこっそり手を振っている。私は微かに笑って美沙に手を振った。

私は柔道場で眼を覚ました。
「おい、副会長起きろよ。」
生徒委員長の井出が私を揺さぶった。
昨日早めに寝た井出はもう起きて作業の指揮を開始しているようだ。
「あ、おはようございます先輩」
「今やお前は位階上は俺の上司なのだから敬語は不要さ」
皮肉を少し交えながら井出は他の役員や生徒たちを起こした。
私は柔道場の神棚の近くに掛けてある30年は動いているという時計を見た。近所の時計店から買ったという話だ。
現在午前6時。
始発で来る学生たちが既に到着しているころだろう。
今日は学園祭初日。
河埜学園最後の学園祭の初日だ。

顔を洗って校庭の方に行くと、もうかなり多くの生徒がやってきて作業を開始していた。校門のところの立て看板や折り紙でつくった飾りが次々と仕上げられていく。
各クラスごとの色とりどりのトレーナーを着た生徒たちが、屋外の模擬店のボンベや材料を運んでいく。
その一つ一つの光景が、私にとってはとても印象深いものだった。
空は乳白色の雲が覆っていた。
天気予報によると、今日一日曇りらしい。

午前8時。講堂で開会式が開かれた。校長の挨拶、生徒会長挨拶、そして幾つかの出し物。ピアノとバイオリンの演奏。
私は講堂での業務は文化委員長の桂と生徒委員長の井出に任せ、生徒会室に陣取った。
「えっ、校門? パンフレットが足りない? わかった、日下部に持っていかせるから。とりあえず100部な。」
 次から次へと決裁を下していかなければならない。
「校庭ライブなんだけど、アンプ頼んでいたのどこだっけ?」
さゆりが部屋のドアノブに手をかけながら言った。
「ああ、大迫先生のところだよ」
 私は携帯電話で話しながら言った。
あたりは役員や生徒でごった返している。
「会長はまだ来ないのかな」
私は窓から講堂の方を見た。
「すいません、栄歌高校の生徒会の方が来ていますが」
中3で文化委員の市川陽子が校門の仮設テントから電話してきた。
これは会長が応対しなければ駄目だろう。
だが、今京子は講堂で出し物を見ているはずだ。
招待したピアニストの演奏までは見なければならない。
私は仕方なく京子にメールを打つことにした。
その後、私は立ち上がってコーヒーを淹れ、それをゆっくりと飲み干しながら講堂を見た。

ドアのところに、美沙がひょっこりと顔を出した。
「何だい?」
私は書類を整理しながら、彼女に顔を向けた。
「何かお手伝いできること、ありますか?」
「クラスの方は、いいのかい?」
「はい、何とか。」
美沙は、明朗な表情を浮かべて喧騒渦巻く生徒会室に入ってきた。
「よし、では仕事をしてもらおうかな。」
私は美沙にテーブルのところに置いてあるパンフレットの束を指差した。
「それを校門の仮設テントに持って行って。」
「はい!」
「あと分らないことは、ここの人たちに聞いていい。」
私がそう言ったとき、さゆりが生徒会室に入ってきた。
「あら、あなた昨日の」
そう言って美沙を見てから、私を極めて意味ありげにじっと見据えた。
「荒巻くんって」
少し上目遣いで。
「年下好きなんだぁ。」
 トーンを落とした声で最後は抑揚を上げ、捻って下から上に叩き込むように。
「それはセクハラだよ文化副委員長。」
私は立ち上がってこの場を立ち去ることにした。
「この子に色々教えてやってくれ。生徒会の仕事をやりたいみたいだから。」
私はさゆりに美沙を指差した。
「よろしくお願いします、先輩」
美沙は確かに一礼した。
だが、美沙とさゆりの間にいきなり妙な電磁場が生じるのを、生徒会室から去りながら私は背中で感じていた。
「どうせ今年で生徒会も終りなんだから、せいぜい仲良くやってくれよ。」
私はそう呟いて階段を降りた。

私は朝食を食べることにした。
教室の模擬店で済ませることにする。
高1の教室で蕎麦屋をやっている店に入った。
「いらっしゃいませぇ」
 1-Bというクラス名が入った赤いトレーナーと黄色のエプロンをつけた、短髪の女子生徒の堂に入った声が聞こえてきた。コンビニかファストフードでアルバイトでもしているのだろうか。教室の中には、様々な色の画用紙に蕎麦の値段が書いてあるのが貼ってある。奥の方に間仕切りが作られ、その向こうが厨房になっているようだ。
私はその間仕切りの近くの並びの席に華奢な桂が美味そうに蕎麦を手繰っているのを見つけた。桂は蕎麦が好きで、よく駅前の蕎麦屋で学校の帰りに蕎麦を食べているところを見られている。
「相変わらず、蕎麦が好きですね桂先輩。」
私は、桂の隣に腰を下ろした。
「荒巻くん」
桂は驚いて私の方を見た。
「ここは、美味いですか?」
「うん、まあまあ」
桂は、大きな哀しそうな目を蕎麦の方に向けた。
蒸篭から蕎麦を汁椀に入れ、それを中々見事な手さばきで口に運び、美味そうな音を立ててするすると飲み込んでいく。
私はその姿に思わず唾を飲み込み、近寄ってきた先ほどの女子生徒に桂と同じものを頼んだ。
「講堂の方は、どうですか?」
「もうそろそろピアノ演奏が終わるんじゃないかな。会長も、もうすぐ戻ってくるよ。」
蕎麦が運ばれて来て、私も手繰り始めた。
「ねえ」
桂が私の方を向いた。
「勢堂くんに聞いたけど、最近僕のことを聞いたんだって?」
少しおどおどしているようだ。
まるで少女のように怯えている桂の姿と、長谷部と桂の関係を思い出し、私は心の深いところで歯車がカチリと合わさるような、妙な納得をした。
「先輩、その話は食べてから外でしましょう。」
私は、ゆっくりと蕎麦を手繰った。
結構、いけるようだ。

桂が、屋上の金網に手を掛けている。
「今日、長谷部先輩が来るんだ」
「そうですか」
私は桂を見た。
「その……今でも続いてるんですか? お二人は?」
「か、関係ないだろ君には」
桂は顔を真っ赤にして私の方を振り向いた。
それから黙って下を向いた。
「時たま、会ってる。」
それから顔を上げて言った。
「僕と先輩のことは秘密だよ。絶対誰にも言わないでくれよ」
 私は頷いた。
確かに少数の者にしか知られていないようだ。だが不思議なことがあった。前文化委員長の上原栄子は、これを他人に漏らさなかったのだろうか。私はそれを聞いてみた。
「ううん。」
桂は首を振った。
「あの人は、長谷部先輩が好きだから。」
なるほど、結局桂のことを暴露すれば長谷部のことも漏れてしまうわけだ。
「上原先輩は、よっぽど長谷部先輩のことが好きだったみたいですね。」
私は、言いながら桂の反応を確かめた。
「ぼく、あの人のこと嫌いじゃないんだ。生徒会に入ったとき、長谷部さんの次に優しくしてくれて面倒を見てくれたんだ。ぼく、お姉さんが小さいときに死んだんだけど、本当にお姉さんみたいだった。それが……」
そう言って桂は哀しそうな目を更に哀しそうにした。
「でも長谷部先輩の方がずっと好きなんだ」
 桂は、顔を赤らめ、か細い声で絞り出すように言った。
長谷部は現役で東大に入っているはずだ。だが栄子は?
「上原先輩は、やっぱり東大受けて落ちたよ。今年も受けるみたい。長谷部先輩と同じ学部を。」
「連絡を取っているんですか?」
「まさか。上原先輩がしょっちゅう長谷部先輩のところに電話を掛けてくるんだよ。」
「ほう……」
 栄子の方は長谷部に未練たらたらのようだ。
乳白色の空に、カラスが何羽か舞って、ビル街の方へ飛んでいく。カラスの航跡が曲線から直線に、そして点になっていくのを見て、私はふと不吉な予感を抱いた。
「もしかして……上原先輩も今日来るんでしょうか?」
それを聞くと、桂はぴくり、と鞭で打たれたように震えた。
「そんな……。どうだろう……。」
桂は俯いてコンクリートの床を見つめた。
「上原先輩、入学したその日に長谷部先輩のことが好きになったって言ってた。それから今まで足掛け七年間、ずっと長谷部先輩のことが好きだったんだって。ぼ……ぼくのこと泥棒猫だって……ひどいよ」
そう言ってから、突然こころに溜まっていたものが溢れ出してきたのか、桂は金網に顔を当てて声を殺して泣き始めた。
私は栄子が桂につけたこころの傷跡を見たような思いがした。
そして長谷部と桂が栄子につけた傷の深さも。
「最近も時たま無言電話が来るんだ。」
「それは……尋常ではないですね。上原先輩の仕業でしょうか?」
「さあ……」
「長谷部先輩は何と?」
「黙っていろって。何かあって上原先輩の機嫌を損ねても大変だって。」
確かにそれが賢明かもしれない。

校庭にはもう校外の客が大勢入って来ている。今年が最後の学園祭だということを知ってのことだろうか。
涙を拭いた桂が校庭ライブの方を監督しに行って別れた後、私は生徒会室の方に向かっていた。
雲の切れ目に青空が見えてきた。
晴れるかもしれない。
「こんにちは、アニメ同好会の展示、3号館の1階でやってまーす!」
 アニメのキャラクターのコスプレをした女子生徒がアニメ声で客寄せをしながら配っていたパンフレットを受け取ったとき、私は彼女の向こうにとある人物を認めた。
「柳川さん」
それは私が寄付を求めて訪ねたことのある生徒会のOBだった。見ると、女性を連れている。
「おお、久しぶり。」
丸い顔をした柳川は、隣のすらりとした女性を紹介した。
「妻だ。」
これがあの女性教師を問責した如月元副会長か。
「よろしくお願いします。今は副会長を務めている荒巻といいます。先輩にはこの前の寄付の件でお世話になり、大変助かりました。」
私は一礼して彼女の顔を見た。
見るとあまりキツい女性には見えないが。
「よろしくお願いします。まあ、私も副会長だったのよ。知ってる?」
「は、柳川先輩からお話がありました。」
「今校長はどこにいらっしゃるかな?」
柳川が尋ねた。
「そうですね、現在は校長室の方にいらっしゃると思います。何か御用でしょうか?」
「ああ、ちょっとお金のことでね。君は生徒会の役員だし、話してもいいだろうが、私たちや他のOBたちと語らって、河埜を助けようかという話が持ち上がっているのさ。」
それを聞いて、私の心中の靄が段々と透明になっていくような気がした。
「本当ですか? ではうちの学校は助かるのですか?」
「いや、まだ詰めてみないとわからない。銀行との折衝もあるし。今は何にせよ、不景気だし、銀行も体力が相当弱っている。河埜を切ろうとしたのも、株が暴落して河埜の資産価値が減ったからなんだ。また株が上がり、そして河埜の経営体制が変われば、銀行も見放すことはないよ。」
「なるほど……」
 私は頷いた。
「これも君がうちの会社に来て、寄付を持ちかけてきてくれたから立ち上がった話なんだよ。そういう意味では、君にも感謝しているんだ。」
柳川は笑みを浮かべて言った。
「とんでもない、私などは」
私は恐縮して頭を下げた。
「ところで、後で生徒会にも寄らせてもらうよ。」
「はい、わかりました。役員総出でお出迎えいたします。」
私は再び頭を下げて二人と別れた。

私が生徒会室の前に行く途中、水道の蛇口が並ぶ水道台で桜子がジャージ姿のまま歯磨きをしていた。
「あ、荒巻くんおはよー」
昨日も一生懸命働いていたせいか、寝過ごしたのだろうか。
「うん、ちょっと寝過ごしちゃったよははは」
私は桜子に、さっき聞いた柳川の件を話した。
「本当なの?」
桜子は目を丸くして驚いた。
「だったら……」
桜子は声のトーンを一旦落とした。
「だったら私今日からここの生徒になるよ。パパに言えばすぐだし。あと……」
そう言って桜子はコップの水の残りを流しに捨てながら言った。
「パパに言って、その援助の話に参加するように言ってみるよ。自分ひとりならやらないだろうけど、何人かそういう人がいるんだったらパパも参加するんじゃないかな。」
「先輩のお父さんはお金持ちですからね。」
それを聞いて、桜子は少し暗い表情を滲ませた。
「お金もちったっていい事ばかりじゃないよ。成金だし。」
「そうですか?」
「パパなんて愛人何人もつくってママ泣かせてるし。私なんて小さいころパパの仕事のせいで誘拐されたんだから。」
もしかしたら聞いてはいけない話だったのかもしれない。
「すいません、お気に触ることを言ってしまったようです。」
それを聞いて、桜子は苦い笑いを浮かべて首を振った。
「そんなことないよ。荒巻くんはやさしーなあ。」
そう言ってから、一旦桜子はおし黙った。
それから、さっきまでとは少し違う静かなトーンで話し始めた。
「私が小学校3年のころ、パパの会社からお金を借りた人が会社を倒産させちゃって、その腹いせに私を学校帰りに誘拐したんだ。私が友達と学校を出たとき、とても怖い顔をした背の低いおじさんが私を捕まえて車の中に押し込んで、いきなり車を急発進させたんだよ。私はダッシュボードに頭ぶつけて、痛かったなあ。今から考えるととても怖かったけど、あのときは怖いとか考えるヒマなかった。なに? 何が起きたの? っていう感じでさ。」
「ほう」
私は注意深く桜子の話を聞いた。前に持っていた桜子のイメージは、私の中では最近かなり変わっていた。苦労知らずのお金持ちのお嬢さんという感じではなく、むしろ心の中に色々なこころの襞(ひだ)をもった繊細な女性というイメージが強くなってきたのだ。
「私はそのおじさんが経営していた廃工場に連れていかれたわ。そしてパパがどれだけ悪どいことをしてカネを巻き上げたか延々と聞かされた。それから私を人質にしてカネを取り返すってこともね。
でも間抜けね、そのおじさん。
私の友達が車の形とナンバーを覚えていたんで、あっさり捕まっちゃった。3時間もしたら警察が来てすぐ助かったわ。」
桜子は歯ブラシを洗いながら言った。
「前は結構お小遣いとか厳しかったけど、あの時以来、パパは私の言うことなら何でも聞いてくれたし、何でも買ってくれるようになった。だから、今ではあの事件があって良かったんじゃないかと思うこともあるわ。」
そこまで言って、桜子は何かに気付いたように唇の辺りに指を置き、目を閉じて辛そうな表情を見せた。
「でも、怖かった。あの3時間。」
そう言って、手を十字にして両肩を掴み、顔をその中に埋めた。水道の水が流れる音がしばらく続いた。


「不思議ね。なんでこんなこと荒巻くんに話してるんだろ、私。今まで学校の誰にも話したことが無かったのに」
蛇口を締めながら少し力のない笑い顔を浮かべながら桜子は言った。
「あなた、やっぱり変な雰囲気があるんだわ、きっと。ひとが秘密を話したくなるような。私も話しちゃったよ。」
「雰囲気……。そうでしょうか?」
私は返答に困って言った。
「うん。あるよ、雰囲気。でも良かった。何か言ってすごく楽になったわ。ありがと。」
桜子は、タオルで顔を拭きながら言った。
「あ、援助の件はパパに言っておくよ。パパは私の言いなりだし。」
「そうですか、お願いします。」
私は右手を差し出した。
桜子はその手を少し見ていたが、やがてそれを握り、
「うん」
と言って明るい表情を浮かべた。



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posted by 東京kitty at 08:41| 東京 ☁| Comment(0) | 暁の生徒会室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

暁の生徒会室-1

           暁の生徒会室

「ええ、では今週の生徒会執行会議を始めます」
会長の二条京子がメガネの銀縁に少し手をかざして言った。
京子は細身で色が抜けるように白い。
小さいころに京都にいたということで、
微かに京都のアクセントが混じることがある。
整った顔立ちと相俟って公家の娘という感じだった。
だが、私としては余り好きではない。

目が。

目の光が冷たいからだ。
人を見下すために生まれてきたような感じがする。


文化委員長の桂章吾が発言を求めた。
「文化祭の件なんだけど」
桂は二条と同じ3年で、大きな、少し悲しそうな目が印象的だ。見るからに華奢で大人しそうだ。
なぜか蕎麦が好きで、学校の帰りにいつも
鳥羽屋という蕎麦屋にいる姿が目撃されている。
彼は前任者とはあまり仲がいいというわけではなかった。
虐めに虐め抜かれ、会長の二条に抜擢されて
やっとこの地位に就いたわけで、すなわち二条には頭が上がらない。

桂を見て思い出すのは、人形だ。
それも、悲しそうな顔をした人形。

「今年の文化祭は11月13日と14日なんだけど、
文化委員会としては既に始動しています。各小委員会の報告は9月中に上げて、予算を作成します。それで、学校側から聞いたんだけど、今年はその・・・経済的な不況ということもあって、総体的な予算は大分削られるような感じなんだ。」
桂は、大きな悲しそうな目を更に悲しそうにして言った。

体育委員長の勢堂が、色黒の顔の中で唯一白い目の中の黒目で
桂を凝視した。
「体育祭の予算も、削られるってことかそりゃ」
ぶっきらぼうに剃ったばかりの青い坊主頭を掻いて言った。
柔道部の副部長もやっている。
「納得できんなそれは」
勢堂が強面で桂を睨んだので、桂は少しひるんだ。
「ぼ、ぼくに言われても・・・」
桂は二条の方に視線を向けた。

生徒会副会長の佐藤静馬がひそひそと二条に耳打ちをしている。
佐藤は2年で、新聞部の副部長も兼任している。
ぬめっとした起伏のない顔立ちで、
ヘビのような生気のない目をしている。
「何ひそひそやってるんだ」
勢堂が佐藤に言った。
「いえ、ちょっと」
佐藤は静かに座りなおした。

「お前この件で何か聞いてる?」
勢堂は生徒委員長の井出に向き直った。
井出は中肉中背で、青白い顔をしていて、
何を考えているかわからない油断のならない目をしている。
生徒の風紀等を取り締まったり、朝礼等の規律をするのが
生徒委員の役目だが、それを統率しているわけだ。
つまり、私荒巻大輔の上司、ということになる。
やはり3年だ。
「いや、知らない。
 でも矢部先生の話では今学校は結構大変らしいよ。」

私は自分のクラスの友人のことを思い出した。
夏休み中のことだ。
夜、電話が掛かってきた。
「あらまきぃ」
沙代子は、泣き声だった。
「どうしたんだい、三沢。」
私は静かな声で聞いた。
「わたし、わたし学校辞めなきゃいけないの・・・」
「どうして?」
「お・・・お父さんの会社潰れちゃって。
それでもう・・・学校の学費払えないって。
公立に行けって。」
「そうか・・・」


沙代子の消え入るような声が、耳から離れない。
私は黙ってテーブルの上の書類を見返した。

勢堂は言った。
「文化祭の予算が削られるなら
 体育祭の予算だって削られるだろうさ。
 そして来年度のクラブの予算もな。
 そこんところどうなんだよ。
 大体予算については4月に大体のところを会長とかが
 学校側からある程度聞いていたはずだろ? 
 それがどうしていきなりこの9月に事態が変わるんだよ?」

いや。
私は実は本当のことを知っているのだ。
私の父親は銀行に勤めている。
仕事は融資だ。
その関係でとあることを聞いたのだ。
つまり、私が行っているこの学校、河埜学園は、
現在破産の危機にあるということを。

一族経営であった河埜学園の経営は乱脈を極めている
だけでなく、昨今の不況と株価の下落によって、
学園の資産はほぼ債務超過状態に陥っているということ
らしい。


落日の学園。
おそらく来年度、この学校は存在していないだろう。
沙代子の泣き声を聞いた翌々日に、
父からそのことを聞いた私は驚愕した。
転校については、父はまだ何も考えていないようだった。
私としても、できれば来年、
つまり3年になるまではこの学校にいたかった。
中学から5年。
この学校には愛着もある。


私が陰鬱な思考に陥っているとき、
いきなり素っ頓狂な高い声を上げた者がいる。
書記長の黛桜子だ。
「お金がないんだったら、私たちで出せばいいでしょう?」
ぱっちりした目をした、苦労しらずのお嬢様だ。
だが、二条と違って成金の娘で、
少々ネジが外れているところがある。
金銭感覚も少々ずれていて、
体育教員室の近くの卓球台ですこし遊んだときに
交わした会話で、
一月の小遣いは30万だとあっけらかんと言われたときは、
私はむしろ反感を覚えるよりも
笑ってしまい。

サーブをものの見事に外してしまったことをよく覚えている。


私は、二条を見た。
二条の銀縁メガネの中の冷たそうな目は相変わらずだ。
ふと目が合った。
彼女の意思的な視線を私は逸らした。
だが彼女は私の視線の中の何かを見逃さなかったようだ。
「荒巻くん」
「は」
「あなたはどう思うの?」
私は、一瞬テーブルの上で
少し風に揺れている書類を見つめながら考えた。
知っていることを今言うべきか言わないべきか。

言うべきではない。
言えば私の父親が漏らしたということがわかり、
父の信用問題にもなるかもしれない。
銀行というのは秘密を重んじるところだ。
それは私が小さいころからよく父に教えられてきたことだった。
秘密を漏らせば、父の将来はなく、
家族にとってもあまりいいことはないかもしれない。
私はすばやく計算し、ここでの態度を決定した。
「減額の具体的数字について、
 学校側から報告があったのでしょうか?」
私は桂に向いた。
「そ、それはまだ・・・」
「ではその具体的数字を得ないと駄目だと思います。
 その額に応じて我々の態度も変わってくるのではないでしょうか。
 大きな行事に影響がある程度の額なのかどうか、
 ということですが」
そう言って下役でまだ2年生である私は一礼した。

その日の会議は、
私が行った発言で尻すぼみのような感じになり、
学校側から報告を得てから、
という形で幕を閉じた。
私はカバンを持って生徒会室を出た。
「荒巻くん」
呼び止められた声の方角に振り向いた。
 文化副委員長の室生さゆりだ。
 黒目が大きい。
 豊かでつやのある髪の毛を背中まで伸ばしている。
 いつか昼休みに、彼女が友人に
 そこまで伸ばすのに、
 どれくらい掛かったのかと聞かれた場面に
 出くわしたことがある。
 小学生のころからあまり切ったことはない、
 という彼女の問いに友人たちは感嘆していた。
 私と同じ2年で、隣のクラスにいる。


「今日は忙しいの?」
「少々用が。何か用かい?」
「ううん。いいの」
 そう言って、背を向けた。
 私は、何故か重力に惹かれたように、
「ああ、あの」
 と声をその背中に掛けてしまった。 

さゆりはくるりと私の方を向いた。
まるで待ち構えていたかのように。
「なんですか、生徒副委員長様」
「どのような用事だい?」
「あのね」
「ん」
「実は私ネットで知ったんだけど、
 どうやらうちの学校で援助交際やってる子がいるみたいなの」
「ほう」
「これって、荒巻くんの担当でしょ?」
「・・・職務は校内の風紀等に関することだから。
 校外のことは管轄外だよ。」

面倒に巻き込まれるのはゴメンだ、
 という思考が働いたわけではない。
 だが、下手に動けば私の行動によって
 彼女たちに重大な影響を及ぼすことになってしまう。
 どうみても私の職分の範囲内にあるものとは認められなかった。
「先生に言うのはどうだろうか?」
「言ったらすぐに退学になっちゃうでしょ。
 私たちが調べて穏便に止めるように言うのが
 生徒同士の誼(よしみ)ってものじゃないかしら。」

 確かにそれもそうだ。


私とさゆりはPC室で問題のhpを見た。
出会い系サイトで河埜学園の生徒らしき者が援助交際をしている
という垂れ込みが書かれてあった2chのスレッドを見た。

219 :名無しさん :03/09/04 00:00
恵比寿駅でこの前援交した子にすれ違ったよ。
なんか向こうは気付かなかったみたいだけど。
セーラー服が似合ってたよ〜

「で、この後共学のKなのかなーって思ったという
 書き込みが続くわけ」

さゆりは髪を掻きあげて言った。
なるほど。
これがうちの誰かというわけか。

私はさゆりに言った。
「だが、これ以上の手がかりはないようだね。
 それとも何か当てがあるのかい?」
さゆりは、大きな黒目をくりくりさせて言った。
「うん、何人か派手に遊んでいる子の中のうちの一人だと
 思うんだ」
「確証がないのではこれ以上私には何もできないようだ」
 私は口を尖らせるさゆりを後にして、PC室を出た。

私は13号館の2階のPC室を出て、
白い建物を振り返った。
私が河埜中学に入学したとき、
13号館はまだ建設中だった。
まだ小さかった私は、中がどうなっているのか知りたくて、
日曜日にテニス部の練習があったときの合間に
こっそり中に忍び込んでみたりしたものだ。
13号館は学校の北の端にある。
私のクラスがある8号館は、学校の西側にある。
その途中の通路を歩いていると、
中等部の生徒たちが家路につくのを認めた。
詰襟の男子とセーラー服の女子たちが、
三々五々、桜の木が立つ校門の方に向かっている。
その姿を見ながら私は物思いに耽った。
消えゆく学園。

彼らは、一体どこに行くのだろうか。
そして自分はどうすればいいのだろう。
滝ツボへ落ちる寸前、突然体の向きが変わるような
感覚を私は抱いていた。

私はまだ自分の心に整理がつかず、なんとなく帰る気にならなかった。
生徒会室に寄ってみることにした。
生徒会室では、会長の京子が
会計委員長の橘慶子と話をしていた。
「あら、荒巻くん」
京子は私を認めて呼びかけてきた。
眼鏡が夕陽に一瞬反射した後、京子の眼が優しく見えた。
「失礼します、会長」
「どうしたの?」
私はそう聞かれて困惑した。
特に来た理由はないのだ。
当面の問題を考えるのに、
ここが相応しい場所かもしれないと思っただけだ。
だが、京子に対しては
何か理由をつける必要がある。


「いえ、歴代日誌でも少し見ようかと思って」
歴代日誌というのは、
河埜学園生徒会の名物だ。
ここ40年間の生徒会の日誌が漏れなく保存され、
毎日書き足されている。

「そう?」
私は慶子からロッカーの鍵を貰い、
自分が入学した当初の生徒会日誌を
読み返してみることにした。

ふと開いたページを見ると、前の生徒会長が中3のときに書いた記録が眼を引いた。

6月12日(木)曇り
 記録者:長谷部忠志

 中等部のスタッフを強化せよとの三田会長の言いつけで、
2年生を3人ばかりスカウトしてきた。二条京子、勢堂大悟、
桂章吾の3人だ。二条は去年の文化祭でクラスを
よくまとめていて、出展も見るべきものがあったし、
成績もよかったので眼をつけていた。
勢堂は中2だが柔道部の清原部長から最近面白い奴がいると言うので話をしたところ、生徒会の仕事にも興味がありそうなのでスカウトすることにした。
桂は俺が入っている化学部の後輩で、真面目なところが
気に入ったのでやはり生徒会にもいれてみようと話を
持ちかけた。最初は渋っていたが、先輩の命令という形で
入れてしまった。

その記述を読んで、私は涼やかな佇まいで仕事をしている
会長の姿を見直した。
「そうか、中2から生徒会に関わっていたのか」
私は自分が生徒会に入ったきっかけを想起した。
あれは、高1の文化祭の後だった。
体育館の椅子の片付けを偶々私がやっていた姿を見て、
生徒会の顧問だった矢部先生が私を生徒会に
誘ったのだ。
「荒巻、お前生徒会入ってみないか?」
汗を拭きながらパイプ椅子をやっと片付けた私は、
先生の真剣そうな顔を見て少々意外な思いがした。
先生は、数学の授業のときでも、
滅多にあんな顔をしなかった。

「私がですか?」
「そうだ。お前は人の見えないところで
黙々と何かをやるところがあるし、礼儀正しい。
この時期に生徒会に入ってみるのはお前にとって
いい経験だと思うが」
「・・・」
正直その時は少々迷ったものだ。
テニス部は中2のときに辞めていた。
故障があったし、
何よりも受験が大事だと思っていたからだ。
写真部も既に辞めていた。

「勉強に支障は出ませんか?」
「生徒会に入っていると、大学推薦枠にも入りやすいし、
 何より生徒会の先輩たちの進学率はかなりいいぞ」
 確かに生徒会役員はみな成績は悪くない。
 そういった人々に囲まれていれば、
 いろいろいい影響も受けるのかもしれない。
 私は、むしろ打算的な思惑で生徒会に入ったのだ。
私には人を支配しようとか、
管理しようとかいう欲求はない。
他の役員がどういう思いで生徒会をやっているかは知らないが、私がここにいる確固とした動機付けというのは存在しない。
ただ、受験に少しは有利かなどという
個人的思惑があっただけだ。


京子の顔がこちらに向いて、私と視線が合った。
「どうしたの荒巻くん」
私はまたもや口実を探す破目になった。
「会長は中2のときから生徒会に参加してるんですね」
それを聞いて、京子はふと眉を動かして言った。
「ええ、そうね。前会長の長谷部先輩から誘われて。
 まさか会長になるなんて思っても見なかったわ」
そう言って、また書類を読み始めた。
「先輩は受験の方は?」
「慶応の推薦狙いよ。まあ多分大丈夫でしょう」
「いいなあ」
「生徒会の会長はここ20年間浪人はいないわ」
 この先輩にも先輩がいて、
 やはりその先輩にも先輩がいる。 
 どこまでも、辿っていく過去。
人と人の縁。
 その連鎖が彼女の代で断ち切れるわけだ。
私は、再び書類を読み始めた京子の横顔を見つめた。
 やはり会長の京子にだけは、
 本当のことを報せておくべきなのかもしれない。

 私がこの学園の未来についての真実を言おうと
口を開こうとしたとき、京子がいきなり顔を上げて
私に言った。
「あ、荒巻くん。あなた来年、会長やってみない?」
京子が言ったことが余りに意外だったので、
私は自分の言葉を飲み込んだ。
京子の言葉を噛み締めて理解するのに、
少し時間が必要だった。
「意外な・・・ことをおっしゃるんですね。
 副会長の佐藤くんはどうするんですか?」
 私は京子に尋ねた。
 京子は、書類に眼を走らせながら言った。
「静馬はトップになる力量ではないわ。
 彼はナンバー2で輝くタイプの人。
 もう一期副会長をやらせてあなたを補佐させても
 いいかもしれないわ」
「会長は去年は副会長をされてましたよね」
「ええそうね。長谷部先輩の下でね」
 そこまで言うと京子は私をじっと見た。
「長谷部先輩は私が後任として適任と認めたから私を指名した。私はあなたを適任だと思うから指名する。それだけよ」
「私が適任だと思う理由は何ですか?」
「あなたはトップに立つ者としての資質があるわ。
 落ち着いているし、判断も的確。
 責任を負えば負うほど力を発揮するタイプだと思う」
 私は、京子にそこまで買ってもらっているとは
思いもしなかった。

 そのとき、少し前に生徒会室から出て行った会計委員長の橘慶子が戻ってきた。
京子は私にこの件はここで一旦中断、と言うような
目配せをして、慶子を見た。
「どうだったの?」 
「キントが言ってたんだけど、
 去年の60%でなんとかしろってよ。どうする会長」
 慶子の声は引きつっていた。
「そんな」
 京子も色を成して言った。
「文化祭やるなって言ってるようなもんじゃない!」
 事情を知っていた私は、その遣り取りを聞いてさしたる意外感は無かった。
 ただ、遠くの方で氷山が崩れるときのような静かな滅亡の足音を聞いただけだ。
 私は決断した。
 私は自分の責任を果たす義務がある。
 私益を問題にする時ではない。

「会長、実はそのことでお話があります」
私は、会長の京子と会計委員長の慶子の前で、
この学校の未来について語った。
株価の下落、一族による乱脈経営。
そして債務超過状態。
銀行が既にこの学園を見放していること。
それを聞くと、慶子は真っ青になった。
「うそ・・・」
だが、京子は眼を鋭く輝かせた。
「そう・・・面白いじゃない。それ、本当のことよね?」
私は強く頷いた。
「この学校が、来年には無くなるってこと?」
「父の話では、誰も引き取り手は現れそうにないとのことです。
 ならば無くなるしかないでしょう。
 私も来年には転校を考えるようにしています」

翌日。
会長の京子、文化委員長の桂、会計委員長の慶子と私は
校長の河埜純一郎氏と会見を持った。
河埜校長は、豊かな長髪と細い切れ長の眼を持った、
50代前半の細身の美男子だった。
若いころはさぞ遊んだのだろうという噂も多い。
女子生徒の中には河埜校長のファンも少なくはない。
「・・・」
私たちが学校再建はほぼ不可能になっている事実に
ついて言及すると、
校長は私たちを不機嫌そうに見つめた。
「確かに・・・そういった事情はある。」
「ではそれはいつ公開するのですか?」
「・・・明日の朝礼ででも発表するはずだった。
 生徒たちの行く末については、私のできる範囲で引き受けを
 お願いする予定だった」
 校長は手を後ろに組んで校庭を見た。
「まさかこんなことになるとは、思ってもみなかったんだ。
 株があそこまで下がるとは」
 校長は頭を振った。
「すまない」
 校長の辛そうな表情に私たちは一瞬押し黙った。

だが、京子はその沈黙の帳を一気に押し開いた。
「校長先生、それで相談なのですが、
 今回の文化祭で、生徒会がOBに働きかけて、
 足りない分の予算について寄付を呼びかけたいのですが、
 宜しいでしょうか?」
 校長はそれを聞くと目を大きく見開いて、
少し涙目になって頷いた。
「ああ、是非そうしてもらえればありがたい。
 迷惑をかけて本当に悪かった」
 京子は校長の涙には注意を割かれることはなく、
事務的な口調で続けた。
「OBの方々の名簿をお貸しいただければ、
 あとは生徒会の方で直接寄付をお願いいたします。
 この件について学校のバックアップがあるということ
 だけご確認いただければ結構です」
「わかった」
 その言葉を聞いて、京子は立ち上がった。
「ありがとうございます、校長先生」
 そう言って一礼した後、京子は私たちを率い、
校長室に校長を一人残したまま立ち去った。

京子が背をまっすぐに伸ばして本館を出ていく。
脇に桂がおどおどとついていく。
慶子はその後をすこし小さい歩幅でついていく。
私は2年生として一番後ろを歩く。
「校長先生は」
京子がふいに言った。
「お気の毒ね」
慶子が言った。
「へえ、京子でもそんな風に思うんだ?」
「奥さんがああだとね」
京子が冷たい口調で言った。

河埜校長の妻は結構派手で、それがあまり好ましくないと
思う人たちもいるようだ。
京子は学校が傾いたのには校長の妻の濫費があると
思っているのかもしれなかった。

その次の日から私たちは手分けをしてOBたちに寄付を
頼んで回ることになった。
目標額は200万円。
私はOBの名簿の中から歴代の生徒会役員を探し出して
アプローチすることにした。

方法はそう複雑ではない。
インターネットで当該人物の卒業後の足取りを
確かめる。そしてhp等で人的関係や趣味等を読み取り、
最後に歴代日誌の記述から当時のことについて
下調べをする。
こういったことを頭に入れた上で、
電話し、会って話をして寄付を求めるのだ。

無論経済的に余裕がある者を選択することは
言うまでもない。
一日に訪ねられるのは、せいぜい2人がいいところだ。

私が印象に残った先輩のことを書いてみよう。
20年前に卒業した柳川先輩は、3年次に生徒会長をして
一橋大学に進み、現在とあるコンピュータ会社の取締役を
している。私は港区にある彼の会社を学生服姿で訪問した。
 少し太り気味の彼は、校長の署名捺印入りの文書を読み、
女子社員が運んできたコーヒーを私に勧めながら、
万感の思いを込めて言った。
「そうか・・・河埜学園なくなっちゃうのか」
 彼は眼の前のカップの中にコーヒークリームがくるくると回転して溶けていく様を黙って見ていた。

「大体、負債ってどのくらいなのかな?」
 彼は思い出したように私に聞いた。
「さあ・・・かなりの額だと聞いていますが」
「ほう。債務超過はどのくらい?」
「あまりわかりません」
「・・・なんというかさ、株式を公開したこともあって、
 お金はないことはないんだよね。だから場合によっては
 私が学校の負債の債務超過分の幾分か負担しても
 いいくらいなんだが」
 私は彼を見直した。
「そうなんですか」
「ああ。だが、額にもよるね」
 私は、コーヒーカップを右手で揺らしながら考えた。
 このようなことに私が介入するのは権限の範囲外だ。
 後で会長なり校長に伝えて判断を仰げばよいだろう。
「私としては、学校の負債についてのことはわかりかねます。
 ただ、先輩にそのような意思があったことを校長にお伝えすることはできると思います」
「ああ、そうか」

私は自分の職分を果たすことにした。
「先輩は3年次に生徒会長をされてますよね?」
「ああ、そうだ懐かしいね。だから生徒会役員の君が来たというわけだろ?」
「はい、本当は会長がご挨拶に伺うべきなのですが、やはりみな分担してお願いしている都合上、分不相応とは思いましたが私がお願いに伺ったわけです」
「ははは。まあそういう仰々しい名分主義は苦手さ」
「先輩のときは生徒会の担当は橋本先生でしたよね」
「そうそう、橋ポン元気かい?」
「ええ、今は中学の担任をされてます。先輩のときと同様、
 やはりみんなに橋ポンと呼ばれてますよ」
「そうか、あの仇名って俺のクラスからついたんだよな」
「そうなんですか?」
「ああ、高1の英語の授業だったかな。今はアメリカに行っちゃったけど菊地って女がいてさ。そいつが先生のことをいきなり橋ポンとかいい始めてさ。橋ポン最初はムっとしてたんだけど慣れちゃってさ。自分から自分のこと橋ポンなんていいはじめたときは調子に乗るなとか思ったよ」
 そう言ったあと、彼は少し遠くを見るかのような目つきをして言った。
「もしかしたら菊地、橋ポンのことが好きだったのかもしれないな」

彼の意識が現在に戻ってくるのを見計らって、私は柳川にあるものを見せた。
「おっ、こりゃあ・・・」
柳川は20年前の歴代日誌を見て目を見開いた。
「なつかしいなあ・・・そうか、まだ続いてたんだな歴代日誌」
彼は自らの在校時代の10冊程度の在校時の日誌を手にとってぱらぱらとめくっていた。
「うわっ、これ俺だよ・・・」
 彼は、自らの書き込みを見て感極まったのか思わず目頭を押さえた。
「そうだった、そうだったよ。
 この時予算の問題で学校側と対立してさあ。
 俺が辞めるかどうかとかそんな問題にまでなったんだよ」
 彼はしきりに自分で何度も頷きながら日誌を見返していた。
「結局、日誌によればそれは学校側が折れたはずでしたね?」
私は、予め読んでおいた歴代日誌のその前後の部分を思い出して言った。
「うん・・・そうなんだが、ここには書いていないことだけど、ある先生が辞めたのさ、この問題で」
「えっ・・・」
 私はその部分の日誌しか読んでいなかったので、
 それは初めて聞く情報だった。
「その先生、ここではA先生としておくが、
 ある業者から金を貰っていたみたいでね。
 それがそもそもの問題の発端だったのさ・・・」
 柳川はコーヒーを啜りながら言った。
 そのとき、先ほどの女子社員が入ってきて、
「江戸川さんが参りましたが」
 と言った。
 柳川は、
「後にしてくれ。待たせておいてくれ」
 と言った後、再び私の方を向いた。
「俺と、副会長の如月ってこれがまた性格のキツい女でさ
二人でA先生の家に行って直談判したんだよ」
 性格のキツい女、という言葉を聞いて、
私は京子のことをふと思い出した。
「如月が一方的にA先生を叱り付けるように話してさ。
 A先生は中年の女性の先生だったんだけど、
 泣き出してしまってね。
 俺はそのときオロオロして
 どうすればいいのかわからなかったよ。」
 顔の皺を深くする柳川を見て、 
会ったときに感じた柳川の若さが、
一瞬のうちに消えたように思えた。
彼の時間が過去に遡及していくにつれて
現在の彼が老いていくようなそんな奇妙な
時空意識に私は囚われた。
「翌日、結局A先生は辞めた。
 如月は・・・」
 そこで彼は一旦言葉を止めた。
 そして私に顔を向けて言った。
「今は私の妻だ」

柳川は結局50万円の寄付を生徒会にしてくれることになった。
彼が自分がいたころの歴代日誌をコピーしたいと言ったので、彼の分はそこに置いて翌日取りに行ったものだ。

私が柳川から50万円の寄付を貰ったと聞いた
生徒会執行役員たちは目を丸くして驚いた。
勢堂は、
「大輔、お前妙な小才利くなあ」
と、悪口だか誉め言葉だかわからない評価を下しながら、
私の肩を乱暴に何度か叩いた。
だが、私が柳川から寄付を得た事情を話している際、
彼とその妻のことに話題が移ったときだった。
京子が眉をひそめたのを私は見逃さなかった。
私の視線に気付いた京子は、
「へえ、いい話ね」
と、誤魔化すかのように言った。
周りの3年生を見ると、少し空気の密度が
変化していることに私は気付いた。
井出は天井を見つめ、勢堂は咳払いをした。
そして桂はおどおどとしながらあたりを見回していた。
慶子はじっと京子を見ていた。

私が沈黙の殻の中に逃避していると、書記長の黛桜子が生徒会室に入ってきた。
「私、60万入れるよ」
「えっ」
 役員たちは一様に驚いた。
「私の小遣い今月分全部出すよ。後、貯金からも30万出す」
 それを聞いて、京子は眉を顰めた。
「それは……」
 飽くまでもOBから寄付を募るというのが趣旨で、生徒会役員個人の犠牲によって賄うというのは京子の意図するところではなかった。もっとも、彼女にとっては桜子の発言権の拡大を危惧するところがあったのかもしれない。
 私は言った。
「いえ、会長、いいではありませんか。学園祭費の補填は焦眉の急です。もしOBの皆さんからの集まりが悪ければ、書記長の寄付を受け取るということで、一旦は受け取ってみては。」
桜子の家が富裕なことを知っていた他の役員たちも、私の意見に賛成した。
「……」
京子は一旦沈黙してから、結局桜子の寄付を受け入れることにした。
 その日の帰り、私は桜子と一緒に門を出た。
「あたしさあ」
「はい」
「明後日には転校しちゃうんだよね」
「えっ」
「だからこれが河埜にできる最後のことだと思って」
「そうだったんですか……」
「でも結局最後まで京子は京子だったね」
「ええ……」
私は、桜子の寄付が指導権を狙ってのことと勘違いしたかのような京子の態度を思い出した。

「あのさ」
「はい」
「生徒会室に入ったとき、何か雰囲気が変だったんだけど、何かあったの?」
「……」
私は一瞬沈黙してから、事情を話した。
「そう……。そうかもね。そうだろうね」
「?」
「ん……まあ私はもうこの学校を去るから言うけど、実は京子って前の生徒会長の長谷部先輩のことかなり好きだったんだよ」
私はそれを聞いて耳を疑った。
「だから会長と副会長のカップルのことを聞いて、
京子ショックだったんじゃないかな。」
「そうだったんですか……」
私が生徒会役員となって生徒会室に頻繁に出入りするようになったのは、今年からだ。中3と高1のときは、下役の下役として大して仕事もしていなかったし、生徒会室にもあまり来なかった。大きな集まりのときに出向いて参加し、意見を述べたりした程度だ。
「長谷部先輩が、京子とか桂くんとか勢堂くんとかを中2のときにスカウトして、手塩にかけてあの連中を育てあげてきたんだよ」
 桜子と私は坂を下りながら、何人かの中学生を追い抜かした。
「長谷部先輩がスカウトをしたという話は、歴代日誌に書いてありましたね」
私は桜子のペースに合わせながら歩いた。
桜子の横顔の表情は、少し硬い。
「随分古いのを読んだのね。そう、そうなのよ。それで、京子は長谷部先輩をとても尊敬し、それが愛情に変わっていったわけ。実際に京子は去年副会長をやって、二人はいいコンビだったわ。けど……」
私たちは、信号の前で止まった。
私は桜子の次の言葉を待った。
黄色いスポーツカータイプのベンツが、私たちの前を通り過ぎた。
「言って、いいのかなあ」
桜子は暗い顔をして下を向いた。
私の知る限り、桜子があんな顔をするのは初めてだった。

信号が、青に変わった。
周りの河埜の生徒は、次々と信号を渡っていく。だが、私たち二人はその場に立ち止まって、時が満ちるのを待っていた。やがて、信号が再び赤に変わり、周りに人が少なくなると、桜子は私の方を振り向いて厳しい目をして言った。
「絶対に、他の人に言ったら駄目よ」
「はい」
私は、深く頷いた。
「長谷部先輩が好きだったのは、京子ではなかったの」
その答は予め予測できたとは言え、改めて言葉にされると極めて厳粛な感じを私に与えた。だが、次の言葉は私の心に大きな衝撃を与えた。
「長谷部先輩が好きだったのは、文化委員長の桂くんだったのよ」
私はそのときの桜子の言葉のトーン、大きさ、声質、そういったものを今でもはっきりと覚えていて、今でも昨日のことのように思い出すことができる。目の前を自転車で突っ切って行った小学生の青いジャンパー。黒いコールテンのズボン。
「ちょっと待ってください」
私は桜子の言ったことが一瞬では飲み込めず、説明を求めた。
「ちょっと……ちょっと待ってください。桂先輩って・・・男じゃないですか」
「だからそういうことよ」
桜子は右手にある果物屋の巨峰にちらりと目を向けて言った。
「そういうことなの」
それから桜子は、私の方を向いて言った。
「去年の文化委員長の上原先輩が、どれだけ桂くんのこと
虐めたかあなたも知ってるでしょ?」
私は、去年はそれほど生徒会室に出入りしていたわけではないが、上原栄子が副委員長の桂を虐めあげているという噂は聞いたことがある。
事実去年の文化祭の後片付けで、栄子がブチ切れて
桂の頬を殴って怒鳴りつけたということもあった。
それを私は目の前で見ていた。
「上原先輩も、長谷部先輩のこと好きだったのよ」

「じゃあなんで」
私は尋ねた。
「なんで会長は桂先輩のことを引き立てて文化委員長にしたんですか?」
「・・・荒巻くんはわからないか、
 そういう女の気持ちというか」
私は沈黙せざるを得なかった。
あなただって男の気持ちがわかるわけではないでしょうと
言おうとしたわけではない。
そう言われて、私は想像を巡らしていたのだ。
「自分が好きな人が好きだった相手を保護することで、
いい位置に立つか、それとも自己満足を得る」
言葉にすると身もフタもないが、
誇り高い京子の性質からするとそういった動機なのだろう。

「そんなことは歴代日誌には書いてありませんでしたよ」
「書くわけないじゃない」
桜子は笑いながら言った。
そうだ。
前に訪ねたOBの柳川が女教師を追放した話も歴代日誌には書かれてはいなかった。
本当の歴史とは、文字ではない。
人が話す言葉だ。
あの分厚い、何百冊にもなる歴代日誌の裏に、
どれほどの隠された歴史があるのか。
そのとき、私はふと背中に氷柱のようなものを感じた。
posted by 東京kitty at 08:40| 東京 ☁| Comment(1) | 暁の生徒会室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月10日

最果てのゴールドマン - 英雄の正体(@w荒

最果てのゴールドマン
第壱話 英雄の正体

夕闇が迫る東京のスカイライン。
遥かに紫色の雲の中に富士山が見える。
品川を最終防衛ラインにすることは予め決まっていた。
突然海から半身を現した、
全長50mほどもある怪獣は、黒い体を揺すって、
上陸を開始しようとしていた。
鳥のような、獣のような異常な鳴き声が
品川を揺さぶった。
私は赤外線レーダーで怪獣の体躯を把捉した。
「攻撃開始!」
私の命令で、都合6機の対巨大生物攻撃用特殊戦闘機
シグルド1号から6号までがミサイル攻撃を開始した。

地球環境の激変のためか、
次々と現れる巨大生物を処理するために結成された
国連軍特殊部隊、
AMT、対モンスタータスクフォース(Anti-Monster Taskforce)が
結成されて、2年になる。

怪獣-後にベロクロスと正式に命名された-は、ミサイル攻撃には
びくともせず、突然火を吐いた。
天木隊員が操縦する4号機が被弾し、海へ墜落していった。
「天木!」
私は火を噴いて落ちていく天木機を見ながら、
彼の命だけでなく、予算の心配もしていた。
330億円というところだろうか。

あの戦闘機は、特殊仕様なので馬鹿高い。
ちなみに、今飛んでいる戦闘機だけで2000億円。
燃料費や弾薬費等も入れれば、2100億円程度の金が
空を飛んでいることになる。
今そのうちの330億円が消えたのだ。
「隊長、駄目です、ミサイル攻撃は効きません!」
3号機の西村隊員が悲鳴を上げた。
怪獣は品川に上陸し、火を吐いて品川プリンスホテルを
炎上させた。
そのとき。
海の一隅が突然光った。

海の中から、体を黄金色に光らせる、体長50mほどの巨人が現れた。
「やった、ゴールドマンだ!」
隊員たちの安堵に満ちた声を聞きながら、
私は皮肉な思いを味わっていた。
これで今日の仕事は終りだ。

ゴールドマンは、
言語とも掛け声ともつかない声をあげて、
怪獣に迫った。
怪獣はゴールドマンに気付き、火を放った。
ゴールドマンは火を浴びて海に投げ出されたが、
すぐに立ち上がって怪獣に飛び蹴りを加えた。

5号機の山本隊員が通信をしてきた。
「隊長、ゴールドマンを援護しましょう!」
「ん、ああそうだな」
私は怪獣の眼を狙ってレーザービームを発射するよう
各機に命令した。
だが、毎度のことだがゴールドマンがでてきたら
私たちの仕事はほとんど終わったようなものなのだ。

ゴールドマンが出現してから
きっかり2分53秒後、
ゴールドマンは両腕を交わして
必殺のニュートラル光線を怪獣に浴びせ、
怪獣は粉々になった。
ゴールドマンは、すっかり暮れた空を一旦見上げ、
空へと去っていった。
怪獣のバラバラになった血や肉片は、
品川だけでなく六本木や赤坂の方にまで大量に飛んでいった。
後で聞いたが、何十人かそれでまた死者が出たらしい。

だが、生命保険の約款で怪獣事件による死亡については
生命保険金は下りないことになっている。
死に損という奴だ。
千葉県のディズニーランドの近くに、
AMTの洋上基地がある。

帰還した我々を待っていたのは、
藤原アイコ隊員が嬉しそうに述べた、
海上保安庁からの
天木隊員が助かったという報告だった。
「本当に運の強い奴だよなあ」

西村隊員が笑いながら言った。
本当に彼らは知らないのだろうか?
それとも知らないふりをしているのだろうか?

私はもはや確信している。
天木隊員がゴールドマンだということを。

私は天木隊員が入院したという病院の名前を聞いた。
隊員たちに待機を命じて、
見舞いに行くことにした。
作戦室を出て、車両に乗るために一般区画に出ようとしたとき、
非戦闘隊員の一人が声を掛けてきた。
「あの・・・お待ちの方が・・・」
私は彼女が指し示す方を見た。
「今日はおめでとうございます。隊員の方も無事だったようで・・・」
四井重工のセールスマンだ。
「今日も売り込みかね」
「はあ・・・、あ、次期支援戦闘機についてですが・・・」
この前の入札で2機の枠を失ってしまった四井は必死だ。
戦闘機の機種および製造工事の入札については、
実戦部隊指揮官の意見も重視されるので
私に媚びを売りに来ている、ということだろう。
これは他のメーカーも同じだ。

セールスマンの三橋は下卑た追従笑いを浮かべた。
「これから隊員のお見舞いで?その後お暇がございましたら、
一席設けたいのですが・・・」
私は首を横に振って申し出を断った。
「いいえ、少々まだ残務がありまして」

彼らには隙を見せないことだ。
はっきり言って、怪獣退治の方がずっと楽だ。
ほとんどゴールドマンがやってくれる。

だが、ゴールドマンのお蔭で
ほとんど無用の長物と言われているAMTは
莫大な予算を掛けられているために、
周りに多くの魑魅魍魎が涌いてくる。
私たちが日々戦っている怪獣よりも手強くて恐ろしい相手だ。
それは人の形をしているから始末に悪い。

前隊長も、その魑魅魍魎に魅入られて失脚した。
どうということはない、せいぜい10億円程度の
対空特殊ミサイルの納入でワイロを取ったと
週刊誌に書かれ、
国会に喚問されて地位を失ったのだ。

まだ任務中に怪獣に殺された方が、
軍人としては気が利いている。
私は黒塗りの公用車に乗って、
運転手に行き先を指示した。

湾岸道路に入り、首都高速に乗る。
さきほど戦闘があった品川の方は、
まだ火災が鎮火しないようだ。

病院の個室のベッドに、天木義彦隊員は体を横たえていた。
私は天木隊員に話し掛けた。
「怪我の具合はどうだ」
天木は、ベッドから体を起こしてニコリと笑った。
「ええ、もう大丈夫です隊長」
「そうか」
私は、何から切り出せばいいのか少し迷った。
「天木」
「はい」
「お前が隊員になってから、どれくらいになる」
「・・・1年半、というところですか」
「そうだな。アークスクイドが出たときに、
お前が負傷した小泉隊員を救って
代わりにミサイルを発射してくれた
お蔭で倒すことが出来た」
私は天木の精悍な横顔を見た。
「だが、腑に落ちないことがあるんだ、天木」
「なんでしょう」
「お前がいなくなると、ゴールドマンが現れる」

天木の顔が鞭のように引き締まった。
「そう、いつもそうだ。
 ヒュゴイド、ジギスムント、バール、枚挙に暇が無いな。
 お前の乗っている戦闘機が落とされたり、
 お前がいなくなっているときに
 ゴールドマンは現れるんだ」
 私の言葉に天木は黙りこんでから急に笑い始めた。
「はははは・・・隊長、隊長は何がおっしゃりたいのです」
 私は、間髪なく切り込んだ。
「天木、君がゴールドマンってことさ。
 最近ますますそう思うようになっている。
 君は今までシグルドで9回落とされている。
 カネにすると、3000億円以上の損害になる。
 だが、それはいい。
 問題なのは、9回とも君が助かっている、ということだ。
 これは運がいいなどということでは済む問題ではない。
 そして、君が墜落したすぐ後に、その近くから
 ゴールドマンがいつも現れるのだ」

私は一旦言葉を止めて、天木を見た。
だが、その深い瞳は静かに私を見ているだけだ。
「天木、君が宇宙人だと私は思っている。
 それも想像を絶する力を持ったね。
 だから、ひょっとすると君は私の精神を操作して、
 別の記憶や信念を植え付けることもできるかもしれないし、
 私の考えなど本を見るように読み取ることができる
 かもしれない。
 それでも私は君にこの疑問をぶつけざるを得ないのだ。」
 私は天木を真っ直ぐ見据えた。
「ゴールドマン、君が地球を守る利益は、一体何だ」 

沈黙が部屋を覆った。
最初に沈黙に耐え切れず言葉を発したのは私だった。
「直截的すぎたかな。
 では少し私のことを話そう。」
 私は両手を組んで昔のことを語り始めた。
「まだ私が自衛隊にいたときのことだ。
 イラクのサマワという街で復興支援に当っていたときのことさ。
 突然私の部隊は、ゲリラたちに攻撃された。
 私は何とか部隊をまとめ、ゲリラを撃退した。
 私の部隊の戦死者は一人もいなかった。
 当時、自衛隊を戦闘地域には送らないと政府は言っていたが、
 ゲリラ戦で戦闘地域でない地域なんてないのさ。
私たちは結局政府の米国への追従と、
 憲法改正のための足固めとしてイラクに送られたんだ。
 帰ってきたら、
 英雄どころか白い目で見られたよ。
 戦死者が出た方が自衛隊の重要性が上がった、
 血を流す貢献ができたのに、ってな。
 それ以来、私は正義というものを
 真正面から信じられなくなったのさ」

「もっとも、君は宇宙人だ。
 私たちのようにせいぜい100年しか生きられない人間とは
 価値観も違うだろうし、
 それが理解できないかもしれない。
 だが、わざわざ遠くからやってきてこの赤の他人の星を
 守ることによって得られる利益は何なんだ。
 私たちは君のお蔭で怪獣退治は極めて楽だ。
 にもかかわらず莫大な正面装備予算を組み、
 カネ食い虫だの役立たずだの国民からは言われている。
 それはいい。
 国連軍という表面的名目はとにかく、
 私たちは所詮日本の軍人だ。
 国が守られているという結果さえ得ることができればいい。
 それでも、共に闘う者の目的や意図する利益が
 不明というのは、不安で仕方がないのさ」
天木は、私の言葉を聞いて、
一瞬天井を仰ぎ、
それから窓を見つめた。
「半分は、カネ、と言えばわかりやすいでしょうか」
私は、彼の口から意外に俗で理解しやすい動機が出てきたのに、
半分失望し、また半分安心した。
「もう3万年働いていますが、まだ惑星一つ買えません」
天木はニコリと笑って私の方を振り向いた。

それから天木は窓から空の方を眺めた。
「2万年ほど前、大熊座の方にとてもいい星を見つけました。
 地球みたいな星で、まだ高度知的生命体は生まれていません。
 せいぜい恐竜程度がいると思っていただければいいです。
 私は、そこの赤道にある島で、
 青い空の下で3つの月を見ながらのんびりするのが
 好きでした。
 いつかこの星を買ってみたいと思ったものです。」
 そういって天木は布団を引き寄せた。
「でも、この前その島は沈んでしまったらしいですが」

なるほど、
今さっき車から見てきた通勤帰りのサラリーマンたちと同じく、
マイホームのために一生懸命働いているわけか。
スケールは違うが、小市民的であることに代わりはない。
「わかった。気に入った住まいを求めるために働いている、
 ということだな。だが、もう半分はどういうことなんだ?」
 それを聞くと、天木はすこし考え深げな表情を浮かべて右上を見た。
「隊長、あなたがイラクに向かったとき、政府の命令に逆らいましたか?そして、政府の命令の本当の意図を理解しようとしていましたか?」
 なるほど、ゴールドマンも組織の者ということか。
 だが、その組織とは一体何なのだろう。
 最終的に地球を手に入れることを目的とする
 星間国家ではないだろうか。
 目的もなく
 遠くまで公務員をわざわざ派遣する馬鹿な政府はない。
「それは君が属する組織が
 地球にとって危険な目的を持っている可能性があるということを
 意味しているのかね」
 私は慎重に言葉を選んで尋ねた。
「わかりません。私は末端の者です。
 ただ、この星を怪獣たちから守ること
が指令に含まれていることだけは確かです。
 そういう意味で、通常の戦闘の際には私を信じていただいて
 結構です」
天木の口調は極めて誠実だった。
だが、宇宙人でもあり、数万年以上生きている存在である
彼の「誠実」な口調を真正面から信じられるほど、
私は人生を見ていないわけではなかった。
100年にもなってないが。
「通常、か」
 私は心の中でその言葉をそっと記憶の小箱に入れた。

結局、天木と私は密約を結んだ。
彼の秘密は守る。
その代わり、彼も目立つ行動はせず、
作戦遂行上私の指令には従うということだ。
とりあえず彼としては自分がゴールドマンであることが
一番重要な秘密のようだった。
またAMTに所属することで、
怪獣の情報をいち早く掴むことができる。
そういう意味で私との関係を維持することは
彼にとっては価値があるのだろう。

私は病院を出て、電車で帰るので
公用車にそのまま戻るように言った。

駅のベンチで、私は手持ちのノートブックPCを開いて、
株式の売買の申込みをした。
今日倒れたビルの本社の株価は下がるだろうし、
建設会社やデベロッパーの株は上がるだろう。

ネットを見ればこれらの情報はいち早く手に入るわけで、
インサイダー取引というわけではない。

私はノートブックPCを閉じ、プラットホームに滑りこんできた
電車に乗った。
車窓から品川の方を見ると、
怪獣によって起きた火事は
ようやく鎮火したようだった。

私は、目の前で居眠りをしているサラリーマンを見ているうちに、
自分も眠くなってきたのに気がついた。
何にせよ、今日は疲れる日だった。

(第壱話 英雄の正体 完)


posted by 東京kitty at 22:44| 東京 ☀| Comment(0) | 最果てのゴールドマン(@w荒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月02日

秋の色-7(@w荒

15.
ヲレは少女を連れて、川見の寝室を出た。
少女の部屋に向かう。
ヲレと少女はベッドに腰を下ろした。
「お父さんを許せないかい?(@w荒
そう聞くと、少女は強く頷いた。
「苦しいんだろ?(@w荒
少女はまた頷いた。
「君が苦しみから抜け出す方法は、
 たった一つしかない(@w荒
ヲレは少女を見つめた。
少女は不思議そうな顔でヲレを見つめた。
「それって・・・」
「簡単なことさ。君も大人になるんだよ。
 大人として、人生の影を帯びるのさ。
ここに来るとき、高速から都市の輝きを見たろ?
命というのはあれと同じさ。
闇とその中に蠢く(うごめく)光が
その正体なんだよ。
 光も影もなければ、人間の生き方ではないのさ」
 それを聞くと、少女はぽつりと言った。
「どうすれば、大人になれるの?」
「簡単さ。黙ることだ」
「黙るって?」
 少女の瞳が輝きを増してきた。
「こうするのさ」
 ヲレは少女の唇を自分の唇でふさいだ(@w荒

 時間が、ゆっくりと流れていった(@w荒


16.
ベッドのシーツに血がついている。
少女は服を着ながらベッドから立ち上がった。
ヲレは少女の肩を抱いて部屋を出た。
「いたたたた・・・・」
少女はガニ股になってびっこを引きながら歩いている。
「痛かった?」
少女は顔を顰めて頷いた。
「私、大人になったのかな?」
「ああ、多分(@w荒
大嘘だが、まあいいだろう(@w荒
ヲレたちが再び川見の部屋の前を通ったとき、
少女は開け放したドアの向こうのベッドに横たわる
川見を見て、部屋の中に入り、そっと布団を掛けた。
その仕草の優しさに、ヲレは少女の心の中に
再び詩が少しずつ流れ始めたのを感じた(@w荒
ヲレたちは車に乗り、川見の、
そして少女の家を去った(@w荒


17.

あれから1年が過ぎた。
友人と少女の母は、二人で元気に暮らしている。
ヲレは渋谷駅を出て歩きながら、
街頭の巨大ヴィジョンを見つめた。
少女が、画面の中で歌い、踊っている。
となりの画面では、少女のチョコレートのCMが流れている。
少女は父親のもとで生きる決意をした。
歌は、相変わらずそう巧いというわけではないが。
なに、そのうち巧くなるさ(@w荒

歌手は、歌が巧ければ売れるというわけでもない。
人生も、生き方が巧ければ幸福というわけでもない。

ヲレは少女の新曲を口ずさみながら、
センター街へ向かう広大な横断歩道を渡っていった(@w荒


             -完-


posted by 東京kitty at 09:42| 東京 🌁| Comment(1) | 秋の色(@w荒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月01日

秋の色(@w荒

     秋の色

         by 東京kitty

1.

友人が結婚するという。
ヲレは、結婚案内の手紙を受け取り、
出席に○を書いた。

相手は友人より3つ年上の離婚歴のある女性だという。
友人も一回離婚しているので、まあお似合いというところか。
よくもまあまた結婚なんてする気になるなあと思いつつも
ヲレは友人を祝福することにした(@w荒
他人にまでヲレの趣味を押し付けるのは愚かなことだ(@w荒

当日、少し早めに出かける。
何か手伝えることがあれば、手伝おうというわけだ。
企業が経営する結婚式場ならば、社員が全て取り仕切ってやるから、このような心配をする必要はない。
今回、友人たちが結婚式を挙げるのは、とある個人の家で、
一日だけ貸切にするという按配である(@w荒

2.
友人は、電力会社に勤めて十数年ほどになる。
大学の友人だが、可もなく不可もなく、まあ平凡な人間だが、
仕事にかまけているうちに、妻に逃げられ、独身生活に入って4年になる。
 子供はいない。
 最初のうちは、独身生活のよさがわかったよ、などとヲレに同調していたものだが、このところは「寂しい」「このままいったら、老後はどうするんだ」
等と軟弱な台詞を吐くようになっていたので、心配はしていたが、遂に捕まってしまったというわけだ(@w荒
 ヲレは彼のマヌケさをせせら笑いながらも、今度はうまくやってほしいものだと思った(@w荒

3.
結婚式場は、東京の港区のとある坂の途中にある、
瀟洒な南欧風の家だった。
ヲレが坂を上がっていると、その門のあたりから
15歳くらいの少女があたりをきょろきょろと見渡し、
こちらの方に下ってきた。

ヲレは2.0の視力でその少女を確認し、観察した。
「可愛いぢゃん!(@w荒

少女は、黒い髪をポニーテールに結んで、顔は瓜実、
猫のような瞳を光らせていた。
「すみません」
「なんだい?(@w荒
「ここらへんで、コンビニってないですか?」
「コンビニ?うーん、ここらへんはあんま詳しくないけど、
 歩けばあるんぢゃないかな・・・」
 ヲレがそういうと、少女は
「そうですか・・・どうも」
と言って、ペコリと頭を下げて歩を進めようとした。
「ちょおっと待ったっ!(@w荒
ヲレは少女の手を掴んだ。
「はい・・・?」
少女の目に驚きと怯えが浮かんだ。
「もしかして、あの家から出てきたのかい?」
「は・・・い?」
「実はさヲレ今日の結婚式に出るんだけど、君も関係者かい?
 手伝おうかと思って今日は早めに来たんだけど」
そういうと、少女の表情が開いた。
「そう・・・そうなんですか?私、ええと、新婦の娘なんです」
「ほお・・・」
 なるほど、新婦にいてもおかしくない年齢の少女だ。
「ヲレは、新郎の大学時代の友人だよ(@w荒
「そうなんですか・・・今日は、よろしくお願いしますっ」
 少女は、そう言ってぺこんと頭を下げた。
「こちらこそ宜しく・・・・ていうか、何をコンビニで買うんだい?(@w荒
「ええと・・・箸が足りないみたいなんです。で、割り箸を買おうかと」
「そうか。ぢゃあ、ヲレも一緒に探すよ(@w荒


4. 
ヲレは少女と歩き始めた。少女の名前は理沙。
東京三葉女子学園中学の3年だ。ラクロスをやっている。
離婚した父親は、作曲家だったそうだ。
「へえ、ぢゃ、君も音楽の才能があるのかい?(@w荒
「私は・・・ダメです。音痴なの」
「ふーん(@w荒
「でも、歌は好きなんです。最近は歌わないけど」
作曲家の娘だからといって、歌わなければならなかったり、また歌が好きになる義務は、もちろんない。だが、ヲレは少女の言葉の語尾が沈黙に消えていくときの声のトーンの変化曲線の導関数を心の中で計算し、不思議な特異点が存在しているのに気が付いた。
「ふーん、どうして?」
それには答えず、少女は
「あ、セブンイレブン!」
と言って、ヲレの前にふいに歩み出た。


5.
「最近あいつ・・・をっと、君のパパになるヒトだからあいつはまずいかな。ええと、彼とはあんま付き合いがなかったもので、イマイチ事情は把握してないんだけど、どんな馴れ初めなの?(@w荒
ヲレは、箸と紙の皿をありったけ持ちながら言った。
「うちの母、リラクセーションのインストラクタなんです。その・・・足裏の」
「ああ、最近よく都内で見かけるね。そうか、あいつ、いや、彼がそこの客だったわけだね。ということは、お母さん、おっと、新婦は千代田区で働いていたってことか」
「そうです。なんか、毎日行くうちに話しをするようになって、って感じみたい」
 少女はクスリ、と笑った。

 秋なのに咲く花もあるんだな、とヲレは思った(@w荒

6.
少女とレジで会計をしている際、少女がおずおずと言った。
「あの・・・・」
「ああいいよ、ヲレが払っておくから」
「あ、ありがとうございます。ていうか・・・」
「なんだい?」
 ヲレは釣りの543円を受け取りながら言った」
「ええと・・・お、お父さんってどんなヒトですか」
「まだ、違和感があるかい、お父さんって」
「ええ・・・ちょっとは」
「そか」
 ヲレたちはセブンイレブンの外に出た。
「実直な奴だよ。真面目だ。信頼はおける奴なんぢゃないのかな。ただ・・・・」
「ただ?」
「ちょっと退屈かもな(@w荒
 ヲレはうんざりした顔をして言った。
 少女はぷっと吹き出した。
「どうしたんだい?」
「ははははは、なんかその顔おっかしーーーーいかにもつまらなそう」
「そうかい?(@w荒
 
7.
ヲレたちは、荷物を持って結婚式場となる家に近づいた。
ここの持ち主は、ヲレと新郎が共通に知っている人間で、
家具の輸入業を営んでいるのだが、イタリアの建築や調度に興味をもっており、この家もその産物だ。
 地中海風の小洒落た雰囲気だが、どうにも新郎にはそぐわない。

「やあ」
門のところで、椅子を運んでいた友人がヲレを認めた。
「ダメだな、新郎は今日の主役なんだからどてっとそこらに座ってろよ(@w荒
 ヲレは相変わらず野良犬のように痩せた友人を見た。

ヲレが友人と話している間に、少女はぺこっと一礼して、庭の方へてててと走っていった。ヲレはその姿を視界の端で完全に把握しながらも、友人と話を続けた。
「リラクセーション。千代田区の?」
そうヲレが言うと友人は目を大きくした。
「聞いたの?」
「当然(@w荒
「そうなんだよ。このところ、会社の仕事がキツくてさ。なんか疲れがひどくて。で、うちの女子社員が沢山行って結構評判がいいんで、会社からすぐ近くのビルに開業したリラクセーションのサロンに行ってみたんだよ」
「そこで新婦に出会ったわけというわけだ。で、ちょっと立ち入ったことだが、
新婦の前夫は作曲家だそうだね」
「そこまで聞いたのか・・・理沙はおしゃべりだな」
 友人は苦笑した。
「ああ、そうさ。彼女・・・というか、芳枝は前は歌手でね。
で、その作曲家と親しくなり結婚、理沙ができたというわけさ」
「あの子は、お父さんの方へ行って歌手になるとかそういう道には興味ないのかな?」
「みたいだね。音楽の才能とかないのは自分でもわかっているようだし」
「最近のヒット曲とか見ていると、音楽の才能とかは関係ないようにも思うが(@w荒

「うーん、なんというのかな。小さいときから、この世界というか、父のところに出入りする芸能人たちを見て、何かスレてしまったというか、正体を見てしまったということなんだろうね」
 そのとき、ヲレは少女の顔を見て思い出した。
「ああ、川見俊太(@w荒
「わかった?」
 友人は眼鏡の縁に手をやった。
「顔立ちが似ていたからね。ただ、新婦は歌手というが」
「いや、そんな有名ではないよ。まだ川見が無名のときに結婚したからね」
「そうか(@w荒
「川見と離婚したのは、何年前だっけ?(@w荒
「2年だね」
 友人は、煙草を取り出して吸い始めた。
「相変わらず体に悪いものを吸っているんだな(@w荒
「ふん、会社奴隷はヤニでも食わないとやっていられないんだよ」
「今どの部署だっけ?(@w荒
それを聞くと、友人はピクリと顔の表情を堅くした。
「水力発電所関係さ」
「なるほど、今は厳しい時期だな」
 ヲレは長野県の知事が取っているダム工事の相次ぐ中止政策を思い出した。
「そうさ。ちょっと前は原子力発電所関係のところにいて、
その時は相次いで原発が故障だの事故だの起こしたもんで、
俺はしょっちゅうあちこちで頭を下げたよ。で、サンズイに移ったらこれだよ。ついてないよな」
「サンズイって水力発電の水ってことだな(@w荒
「そうさ。原発はマルゲン。火力はマルカと言うね」
「ぢゃあ風力発電はマルフウかね」
「いや、風力だけはなぜか風力だね。というか、それほどまだ問題になってないよ」


8.
そのうち、段々と客がやってきた。
これは、どちらかというと手作りの結婚式で、それもあまり格式ばったものではない。
 客が即ちスタッフでもある。

 ヲレは調理場に向かった。
 すると、少女がエプロンを着けていた。
「あれっ・・・」
 どうやら少女はエプロンの紐が縛れないらしい。
 紐はあいにく少女の手の届かないところで捩れ、絡まっている。
「とと・・・」
 ヲレは近づいて言った。
「しよーがねーな。ほら、後ろ向け(@w荒
 少女のまだ子供子供した尻がヲレの目の前に現れた。
 ヲレは絡まっていた紐を解き、きちんと結んでやった。
「これで大丈夫だな(@w荒
「ありがとう」
 少女は微笑んだ。
 少女は胡瓜を包丁で切っている。
「料理ってやるんだ?」
「はい。私、料理好きなんです」
 だがその手つきはどうにも危なっかしい。
「あいたっ!」
 指を切ったようだ。
「どれどれ・・・」
 ヲレは少女の指を取って水で洗い、近くのちり紙で傷口を押さえた。
「あんま深くなくて、よかったな」
「はい」
 少女は、傷口を口で押さえながら言った。
「どれ、貸してみな」
ヲレは包丁を取って、胡瓜を切った。
「す、すっごーーーーい!!」
少女はヲレの早業に感動した。
「お料理とかするんですか?」
「独身生活をすると、何でもできるようになるのさ(@w荒
 大嘘だが、まあいいだろう(@w荒

「あら、理沙大丈夫?」
ヲレの後ろから声がした。
振り返ってみると、年の割にはやや若く見える、都会の匂い
を漂わせた女性が現れた。
「お母さん、指切っちゃったよぉ」
ヲレは一礼した。
「この度はおめでとう御座います」
「お・・・お父さんのお友達みたい」
「あら、そうなんですか。すみません、娘がお世話になって。不器用なんですよ、この子」
「いや、そんなことはないですよ」
 ヲレは少女と母親の顔を比較対照した。
 どちらかというと、父親似なんだな、この娘は(@w荒
 ヲレは改めて納得した。

「チーフ、ここですか?」
 二十代の女性が何人か台所に入ってきた。
 どうやら、新婦の店の店員らしい。
「丁度よかったわ、台所お願いね。理沙は料理ダメみたいで」
母親の言葉に、少女はちょっとシュンとした。
「私だって一生懸命やったもん」
「ここはいいから、別のところを手伝ってきなさい」
「はーい」
ヲレたちは台所を出た(@w荒


9.
ヲレは少女と二人で、部屋の片付けをした。
「そういえば、お父さんのところで沢山芸能人って会ったのかい?(@w荒
 ふと口を衝いた言葉だが、しまったと思った。
 新しい父親を迎える少女にとっては、過去の父親というか、自分の血の繋がった父親に関する質問はデリケートに過ぎる。
 だが、少女は一瞬沈黙してから、あっけらかんと答えた。
「Misaとか夕方タイフーンとか、それから・・・大鎖栄樹とか」
「ふ・・うん」
 有名どころばかりだ。流石に川見というところか。
 芸能界に興味がないヲレでも知っている歌手の名前が次々と出てきた。
「彼氏とかいるの?(@w荒
 ここで最も重要な質問を繰り出す。
 さりげなく出すのがコツだ(@w荒
「へへー、いるように見える?」
「どーだろ(@w荒
「いませんよ」
「なるほど(@w荒
「恋人いる?」
少女がいたずらっぽい表情で尋ねた。
ヲレはちょっと回りを見てから答える。
「誰にもいうなよ(@w荒
「うんうん」
少女は目を輝かせながら小首を繰り返し縦に振った。
「いねーよ(@w荒
「ぷっ。ふふふ・・・ははははは」
「どうしたんだよ?(@w荒
「だって、なんかすごい秘密みたいに言うんだもの」
「そうかね?(@w荒


10.

ヲレたちは庭の方に回った。
そのとき、ヲレは視線を感じた。
誰かに見られている。
誰だろう?
ヲレは視線を感じる右後ろを振り向いた。
すると、若い男が、道路からこちらにカメラを向けていた。
連想した。
川見の娘+前妻の結婚式。写真。スクープとは言わないが、ゴシップ欄の一角を埋めるには十分だ。
 ヲレは壁を飛び越え、着地点から1回跳躍して男の前に立った。
「コンチハ(@w荒
 ヲレはニヤリと藁って青ざめた男の手からカメラを奪い取り、
フィルムを抜取った。
「どこの記者だい?」
 若い男は、仰天した形相でカメラを受け取り、こちらをちらちらと何回も振り返りながら坂を走り下って逃げていった。
「よえーな(@w荒
 ヲレは負け犬が走り去っていく様を侮蔑しながら見つめた。
「すごーい」
 垣から少女がこちらを見ている。
「マスコミ、うるさいのかい?(@w荒
「うん。ときどき」
 少女は頷いた。

「芸能マスコミはヴァカでクズでアホウでオマケにマヌケだからな(@w荒
 気にすんなよ(@w荒
 他人のプライバシーを侵害してナンボの賎しい奴らさ(@w荒
「うん」
 少女はニコリと微笑んだ。


11.
更に客が増えてきた。
家の飾りつけや、料理も出来上がってくる。
門のところには机が置かれ、新婦の職場の同僚が座って、来客の整理を行いお祝い金を徴収している。
 結婚式というより、結婚パーティという感じだ。
 友人としては、職場の関係で格式ばったこともしたかったのだろうが、仕事自体が忙しく、また再婚同士ということもあったので、このような非形式的な結婚式もやむを得ないということだろう。

 ヲレは、ウーロン茶のグラスを右手に持ちながら、少女を探した。酒は飲んだことがない。
 少女は、ポーチのところに一人座っていた。
「・・・それ、ワインかい?」
 ヲレは少女が飲んでいるグラスの中の紫色の液体を見て言った。
「そう」
「未成年が飲酒かい?おうちではいつも飲んでいるのかい?」
「ううん。クリスマスとか、誕生日のときだけ」
 少女は、少し酔っているのか、素面のときの感じとは大分違うようだ。
 顔が、ほんのり赤い。
「まあ、今日はお祝い事だし、大目に見るか」
「いつもね・・・」
「ん?」
「いつもパパが言ってた。今日はお祝い事だからワイン飲んでもいいよって」
「・・・」
「どうして・・・・」
 少女は少し涙を流している。

 少女は泣き上戸という奴らしい。
 ヲレは少女の震える肩に手を置いた。
「誰も悪くないんだよ、多分(@w荒
 これも嘘だが、優しい嘘なら真実よりヒトのためになる。
 ヒトが他人の言葉を含めた外界の状態や、自分の言葉を含めた内部の状態に応じて分泌する物質は、ヒトの心身に影響を与えるからだ(@w荒
「ほんとう?」
 少女が涙を流しながら顔を上げたとき、騒ぎが聞こえてきた。

12.
「?なんだ?」
ヲレと少女は騒ぎの聞こえる方に行ってみる。
すると、そこでは川見俊太が、少女の父で、新婦の前夫が暴
れていた。
「うるせえええええええええええええええ!!!
こんな結婚なんぞ認めん。認めないんだよおおおおおおおおお!!!!!」
川見は、正気とも思えない表情と声で叫んでいた。
「あなた・・・」
新婦の芳枝が大勢の客の間から現れた。
後ろから、芳枝の友人が芳枝を押し止めながらであるが。
「よしえぇ!!お前、こんなショボい賃金奴隷なんかとくっつきやがって!!」
 川見は叫んだ。
 相変わらずその声と表情には狂気が宿っている。
有名作曲家が前妻の結婚式に闖入とは、芸能マスコミのいいネタだ。ヲレは家だけでなく、道路や周りを見渡したが、とりあえずカメラはない。
 だが、小型ccdカメラでも十分鮮明な画像は撮影できる。
 ヲレは友人の姿を探した。
いた。
野良犬のように痩せた彼は、奥の方でチラチラとこちらを
見ている。
臆病ではあるが、十分に慎重な態度だ。
新婦のように出ていって火に油を注ぐのは考え物だ。
人ごみの中から、少女が現れた。
酔っているせいか、泣きはらした目が据わっている。
「うるさい!!このクソオヤジ!!!」
少女は叫んだ。
「どれだけ私たちを苦しめたら気がすむの?ねえ?ねえ??」

少女は父親に言葉を投げつけた。
「バカ!バカバカバカ!!!!帰ってよ!!」
「この野郎、親に向かって!!!」
少女に殴りかかろうとした川見に、ヲレはぶつかった。
「お父さん、娘さんをヲレにください(@w荒
 突然の意味不明なヲレの台詞に、川見は一瞬度肝を抜かれたが、
「どけっ!」
と叫んだ。
「お父さん、眠いんですね?眠いんでしょ?(@w荒
 ヲレは、川見の頚動脈の辺りを強く押した。
 すると、川見はぐたりと気絶した。
 ヲレは周りに大声で言った。
「大丈夫、状況は管理下にあります」
 ヲレは川見を背負った。
「この方は私がお送りします」
 ヲレは新婦に行った。
「え・・・でもご面倒では」
「大丈夫です。ただ、彼の家がわからないので・・・お嬢さんをお借りします」
「わかりました。よろしくお願いいたします」
 ヲレは少女に向かって言った。
「おいで(@w荒

少女は、まだ酔いが残った赤い顔で、コクリと頷いた。
川見を背負うヲレの後を、とぼとぼとついてくる。
好きでもあり嫌いでもあるおとうさん、ってわけか。
ヲレは心の中で呟いた。


13.

ヲレは駐車場に停めてある車の後部座席にどさりと川見を置き、少女を助手席に乗せ、車を発進させた(@w荒

 首都高速に入る(@w荒

首都高速の高架の継ぎ目が、タイヤと接触し、微かな震動が車体に伝わる。
 東京の都市部の外郭が、目の前に広がり、通りすぎていく。
 少しずつ明かりが灯り、街は夜へと急速に様変わりしていく。
「東京という街はゴミゴミした無秩序な街だが、だんだん暗くなって夜になると宝石のようになる。
人生もそうで、或る年齢を過ぎればそういった無駄な風景は消えて、宝石みたいな輝きだけが後に残るのさ」
 これは嘘か本当かまだヲレにもわからない。
 だが、そう信じてヲレは少女に言った。
 少女は頷いた。
「お父さんは、麻薬をやっているね?」
 ヲレはいきなりストレートに聞いた。
 少女の緊張がヲレの左肩ごしに伝わってくる。
「はい」
 少女は、素面のときの丁寧でやさしい少女に幾分戻っているようだ。
「君も、それからお母さんも殴られたりしたんだね」
「しょっちゅう・・・・いつもです」
 少女は暗い声で言った。
「お父さん、嫌いなんだ(@w荒
「だいっきらい」

川見がクスリを始めたのは、ここ数年のことらしい。
ヒット曲が出始めて、あやしげなパーティに出てそこで病
みつきになったらしい。
あとはお定まりの中毒状態。
その当時から、クスリが無ければ創作ができない状態のよう
だ。
妻と娘への暴力沙汰は日常茶飯事で、それがたまらなくなり
二人は家を出たということらしい。

14.

川見の、そして少女の元の家の前に着いた。
ヲレは背負った川見の内ポケットから鍵を探し出し、少女を
連れて家の中に入った。
「前のままかい?」
「うん・・・あ、これ・・・」
少女は壁掛けを見た。
「私の部屋にあったのです」
「こっちに置いたんだね」
ヲレは川見の寝室の方に向かった。
ドアを開けて、ベッドに川見を寝かせる。
ヲレは、ふと後ろを振り返った。
少女はドアのところで立ち尽くしている。
「どうしたの?入ってこないのかい?」
「や」
「?どうしたんだい?」
「この部屋入りたくないの」
少女はまだ酔いが残っている。
「どうして?」
「だって・・・だって・・・」
少女は泣き始めた。
ヲレは川見など放っておいて、少女のもとに歩み寄った。
少女の肩を抱き、尋ねる。
「話してみなさい」
少女は、ヲレの胸に飛び込み、泣いた。
酔いと、緊張が一気に爆発したのだろう。
少女はひくひくと泣きつづけた。
ヲレは少女のポニーテールを撫でながら、少女の胸の膨らみ
を感じていた(@w荒
「お・・・とうさんが・・・ひっく・・・藤原アイコと・・・
ベッドで・・・ひっく・・・その他にも・・・何人も・・・・」
藤原アイコといえば、夕方タイフーンのメンバで、今年15歳。
少女と同じ年だ。
自分と同じ年の少女が、父親と寝ていたというショックは、
理沙の心に深い傷を残したようだ。

「そうか・・・それは、お母さんは知っているのかい?」
 少女は首を横に振った。
「いい子だ。自分の胸の中に留めているんだね・・・君はえらいよ(@w荒
 ヲレは少女の背中をさすった(@w荒
父親が自分と同じ年のアイドル歌手と寝ているのを見たその日、少女の心の中に絶えず流れていた詩が突然途切れた。
その日以後、少女は歌わなくなった。

15.
ヲレは少女を連れて、川見の寝室を出た。
少女の部屋に向かう。
ヲレと少女はベッドに腰を下ろした。
「お父さんを許せないかい?(@w荒
そう聞くと、少女は強く頷いた。
「苦しいんだろ?(@w荒
少女はまた頷いた。
「君が苦しみから抜け出す方法は、たった一つしかない(@w荒
ヲレは少女を見つめた。
少女は不思議そうな顔でヲレを見つめた。
「それって・・・」
「簡単なことさ。君も大人になるんだよ。大人として、人生の
影を帯びるのさ。
ここに来るとき、高速から都市の輝きを見たろ?
命というのはあれと同じさ。闇とその中に蠢く(うごめく)光がその正体なんだよ。
 光も影もなければ、人間の生き方ではないのさ」
 それを聞くと、少女はぽつりと言った。
「どうすれば、大人になれるの?」
「簡単さ。黙ることだ」
「黙るって?」
 少女の瞳が輝きを増してきた。
「こうするのさ」
 ヲレは少女の唇を自分の唇でふさいだ(@w荒

 時間が、ゆっくりと流れていった(@w荒

16.
ベッドのシーツに血がついている。
少女は服を着ながらベッドから立ち上がった。
ヲレは少女の肩を抱いて部屋を出た。
「いたたたた・・・・」
少女はガニ股になってびっこを引きながら歩いている。
「痛かった?」
少女は顔を顰めて頷いた。
「私、大人になったのかな?」
「ああ、多分(@w荒
大嘘だが、まあいいだろう(@w荒
ヲレたちが再び川見の部屋の前を通ったとき、少女は開け放したドアの向こうのベッドに横たわる川見を見て、部屋の中に入り、そっと布団を掛けた。
その仕草の優しさに、ヲレは少女の心の中に再び詩が少しずつ流れ始めたのを感じた(@w荒
ヲレたちは車に乗り、川見の、そして少女の家を去った(@w荒

17.

あれから1年が過ぎた。
友人と少女の母は、二人で元気に暮らしている。
ヲレは渋谷駅を出て歩きながら、
街頭の巨大ヴィジョンを見つめた。
少女が、画面の中で歌い、踊っている。
となりの画面では、少女のチョコレートのCMが流れている。
少女は父親のもとで生きる決意をした。
歌は、相変わらずそう巧いというわけではないが。
なに、そのうち巧くなるさ(@w荒

歌手は、歌が巧ければ売れるというわけでもない。
人生も、生き方が巧ければ幸福というわけでもない。

ヲレは少女の新曲を口ずさみながら、センター街へ向かう広大な横断歩道を渡っていった(@w荒


             -完-
posted by 東京kitty at 23:32| 東京 ☀| Comment(0) | 秋の色(@w荒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昭和最後の日-15(@w荒

ひろゆきは、
小さくまとまった字で自分の名前を記帳した。
彼は、少し前まで神の如く崇拝していた父が
記帳をしているのを横目でちらりと見た。
もう、どんな他人も権威としては仰がない。
自分は、個人なのだ。

彼は、一旦坂下門を振り返った後、
家族と一緒に皇居を去った。

この日から2ヶ月後、
ジュネーブの高エネルギー物理学研究所(CERN)の
コンサルタントのバーナーズ=リーは
研究者間の知識の共用を促進するために、
ハイパーテキストによる情報の相互参照という概念を案出した。
これはWWWの基本概念である。

更にこの年、米ソ冷戦の際、
核戦争によってネットワークが破壊された場合の対策として
考案された米軍のARPAnetは解体され、
民間利用が促進されることになる。
インターネットが爆発的に発達するまで、あとわずかであった。

ベルリンの壁は11月に崩壊し、
そして東京証券所株価指数は、12月に最高値を記録する。

だが、そのいずれも
いまだにひろゆきの知るところではなかった。

            -完-

   
posted by 東京kitty at 16:15| 東京 ☀| Comment(2) | 昭和最後の日(@w荒 - 2ちゃんねる最初の日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昭和最後の日-14(@w荒

すっかり日が暮れた皇居前広場では、
大勢の人がまだ記帳のために残っていた。
泣き崩れる人も多数いた。
ひろゆきとその家族もその中にいた。
だが、ひろゆきは泣いてはいなかったし、
哀しくはなかった。

今日、
ひろゆきが心の中で決めたことは以下の通りだ。
システムは公理から成り、
公理間の交錯で渋滞なく運動していく。
自分は、そういった論理を尊ぶ。

だが、
同時に自分はそう言ったシステムからは自由でいたい。
システムに束縛されず、
自分がその時々に好きなことを、
低コストで、人間関係にも呪縛されず
徹底的にやっていたい。

そうした存在の超然性の先達として、
天皇に一応の儀礼的敬意を示すために来ただけだ。

ひろゆきは、皇居を見つめた。
広い建物だ。
べつにこんなに広いところに住まなくとも、いいな。
でも、
自分も、ある種の天皇になりたい。
超然とした存在でいたい。


posted by 東京kitty at 16:14| 東京 ☀| Comment(0) | 昭和最後の日(@w荒 - 2ちゃんねる最初の日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昭和最後の日-13(@w荒

ひろゆきとその家族は、部屋を出て階段に向かった。
すると、隣の部屋の奥さんといきなりばったり出くわした。
「あら、西村さん。今日はみなさんでどちらへ?」
いかにも探るような、訝しげな顔である。
ひろゆきの母が、落ち着いて答えた。
「崩御された天皇陛下の弔問のために、皇居へ記帳に参りますの」
「まあ」
隣の主婦は、目を丸くした。
「失礼」
ひろゆきの母は一礼し、その他の家族は後に続いた。
その後も何人かの知り合いと出会ったが、
同じような言い訳をして西村家は官舎を抜け出た。
姉が言った。
「ひろゆきにしては冴えてるじゃない?
 記帳を言い訳にして食事に出るなんて」
ひろゆきは、軽蔑するように姉を見た。
「ねえちゃん、何言ってるの?」
「?」
「本当に記帳に行くのさ。ご飯はその後でもいいじゃないか。
 こんな機会は、そう滅多にあるわけじゃないよ」
 ひろゆきのセリフに、姉は仰天した。
 父と母は目を見合わせたが、反対はしなかった。

posted by 東京kitty at 16:12| 東京 ☀| Comment(0) | 昭和最後の日(@w荒 - 2ちゃんねる最初の日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昭和最後の日-12(@w荒

父も母も、テレビでニュースを見ている。
ニュースは、昭和天皇が今まで辿ってきた軌跡と、
日常の生活を流していた。
「天皇って、いい生活しているなあ」
このとき、初めてひろゆきは天皇に対して憧れめいたものを抱いた。
確かに色々束縛はあるのかもしれないが、
全ての権威や権力の上にあって超然としていられるところが、
今の自分が目指している生き方に合致しているような気がしたのだ。

「お父さん」
ひろゆきは父に言った。
「ん?」
「今日は、ご飯食べにいかないの?」
「ああ。こんなことがあったんじゃな」
母親も頷いた。
「そうですよ。官舎の奥様たちに会ったら何て言えばいいのだか」

ひろゆきは、しばし下を向いて考えた。
そして、やがて顔を上げた。
「大丈夫だよ。ご飯、食べに行こうよ」
父も、母も、そして姉さえも目を丸くした。

posted by 東京kitty at 16:10| 東京 ☀| Comment(0) | 昭和最後の日(@w荒 - 2ちゃんねる最初の日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昭和最後の日-11(@w荒

官舎に着いた。
「ただいま」
ドアを開けて出てきたのは、姉だった。
「ひろゆきっ!!!」
 姉はひろゆきを睨みつけた。
「どこ行ってたのよ!!!」
「どうしたの?」
「どうしたじゃないでしょ?
天皇陛下が崩御されたというのに!!」
「今日ご飯食べにいくの、中止なんでしょ?
だったら別にいいじゃん」
「中止かどうかどうしてあんたがわかるのよ?
 もしかしたら中止でなかったかもしれないでしょ? 
 なんで自分で判断して勝手にあちこち出歩くわけ?」
姉は既にヴチ切れていた。
ひろゆきもキレた。
「聞きますけど、今日は行かないの?行くの?」
「行かないわよ!!お父さんも帰って来ているけど、
あんたのこと怒ってるよ!」
これは嘘だ。
姉は父の権威を傘に来て話しているだけだ。
ひろゆきはこの頃になってくると姉の口調で
発言の真贋がやや判断できるようになっていた。

ひろゆきは姉が苦手だった。
なんといっても背が高く、見下ろされているというのと、
それから言っていることが理不尽で、非論理的なのだ。
父も母も穏当な人間で、理非を弁えているのに、
姉はどちらにも似ていない。
姉が叫びだして高い声で話し出すと、
ひろゆきは自分の脳が壊れていくような気がいつもしていた。

相手にしても、仕方がない。
posted by 東京kitty at 16:08| 東京 ☀| Comment(0) | 昭和最後の日(@w荒 - 2ちゃんねる最初の日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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