2007年09月01日

白球、落つる果て

野球のバッティングというのは、
高校物理の実験のような気がずっとしていた。

シンゴさんの打球が右翼席へ鮮やかな放物線を描いていく。
僕はネクストバッターズサークルの白い円の中で
その打球の行く先をずっと見つめていた。

観客の歓声の中でも、
本当にいいスウィングで打たれた打球は
空気を切るようなびゅん、という音が
聞こえるような気がするのだ。
それはスウィングの音もそうだ。

僕たちは、スウィングの良し悪しはフォームではなく音で決める。

前の前の監督が警備会社の宣伝をしているボードに
ボールがぶつかり、跳ね返って右翼の観客席で
お客さんたちがボールを巡って言い争いをしている。
少し年配の黄色い服が、若い青い服に何か叫んでいる。
ああ、係員が止めに入った。

ボールは、どちらのものになるんだろう?

僕はシンゴさんを迎えるために立ち上がった。

すると、センターの発光掲示板にニュースが流れた。
デストロイヤーズがカーズを逆転した。

つまり、今シーズンの
僕たちのチームの自力優勝が危なくなったということだ。

そのニュースを見て、
三塁ベースからこちらに向かってくる
シンゴさんは一瞬で人相を変えた。

人のよい、ちょっと小学生みたいな間の抜けた笑い顔。
みんながほんの少しだけ垣間見ることができた
番長の笑顔が、また引き締まった怖い顔に変わった。

僕はシンゴさんに
「ナイスバッティング」と声を掛けたが、
シンゴさんはニコリともしなかった。

フィールドスタッフの女の子から球団のオレンジ色の
マスコットを受け取ったシンゴさんは、
それを黙ってスタンドに投げた。

マスコットは観客の頭や手に何度か跳ね返って、
座席の間の通路に落ちた。
ビールの売り子の甲高い声で「いかあっすかああ」
の呼び声が、何故か僕の耳に捉えられていた。


僕たち選手は、チームの優勝のためだけに1年を過ごしている。
たとえ一人一人の選手が基本的には自営業で、自分の都合が何より優先するとしても、建前はチームの優勝を第一としている。だが、それが建前だけではない選手も多い。
シンゴさんは少なくともそういう選手だ。


僕はバッターボックスに立った。

全部忘れろ。全部。
この打席。この球だけ考えればいい。
ボール。投手が投げる白いボールだけ考える。

ジャガーズの林投手がサインに頷く。
僕は彼の過去の配球を思い出し、今日の試合の配球データで
それを微妙に修正をしながら第一球を待つ。

シンゴさんの見事なホームランと、
チームの自力優勝消滅の可能性という心を奪われる事態が
二つも連続したためだろう。
僕のことを話すのを忘れていた。

大学から東京ティターンズに入って5年目。
ショートを守っている。
年棒は・・・

おっと、
余計なことをしているから第一球を見逃してしまった。
後にしよう。
大体僕は自分のことを語ることは小さいころから苦手だ。
他の人がするような自慢もあまりしたことがない。

僕は何なんだろう。
とりあえず今は、来たボールを打つ者でいい。
人の定義なんて結局はたわ言だ。
このセリフは高校の担任が言っていた言葉の中で
唯一気に入っているものだ。
第一球はカーブ。
6年目で高校のとき親が死んだ日に甲子園の夏の大会で
決勝ホームランを打った加納さんのミットに
ちょっと陰性の音を立てて吸い込まれたカーブ。
外角低めを上手くかすってストライク。
僕の左ひざはピクリとも動かなかった。
好きなコースだったのだが。

第一球はカーブ。
これはベンチで聞いたスコアラーのデータとも一致している。
ただ、シンゴさんのときは胸元ストレートから入ってきた。
僕が好きなコースだともわかっているはずだ。
失投?

林投手の動揺を計算に入れるべきだろう。
林投手の不機嫌そうな首振りが続く。
まだ二球目なのに。
僕はちらりとキャッチャーの加納さんを見る。
ふと視線が合って、気まずい思いがして、
僕は再び林投手の方を見た。
「サイン見たらあかんよミツ」
加納さんがぼそりと言うのが頭の後ろで聞こえる。
僕は、歓声の中で自分に必要な音や声が拾える
人の認識を不思議に思う。

林投手が振りかぶっている。
僕は打撃コーチの栗田さんの言葉を思い出す。
「林の背番号が見えたらチェンジアップ」
そう、林投手の癖は見破られている。
投球の初期座標(x(0),y(0),z(0))が、時間の推移によって
座標を変えて僕に近づいてくる。
時間を媒介変数にした関数が、それもほぼ直線に近い関数が、
座標系を回転させれば導関数がゼロに近づく関数が、
僕という点から発した直線と交点を結ぼうとして
値を切り結んでくる。

僕は立てていたバットを軽く前に振り出す。
目と腰と手首がボールを捉えている。
もしかしたら、コース的にはボールだったかもしれない。
「テイクバックは大きく」
なぜか小学校のときのクラブチームのコーチの声が耳に残ってる。
あの暑い夏のセミの音も伴奏になっている。

バットがボールを捉えた音は、なぜか聞こえなかった。
ボールを捉えた衝撃が、なぜか右手の土星丘と金星丘で
鮮明に触覚となって形になっている。

ボールは、シンゴさんのと同じくライトスタンドに消えた。

posted by 東京kitty at 20:40| 東京 ☁| Comment(2) | 白球、落つる果て(@w荒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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