シンゴ45
その日の東京ボールパークの外は、初秋の涼やかな風が吹いていた。しかし、その中は年中完全な室温および気圧調整が行われ、外の気候が反映しないこと夥しかった(@wぷ
既にバッティング練習が始まっていて、心地よい乾いたバットのインパクト音が響いてくる。
いつものややのどかな時間のはずだったが、球場はこの日早くもいつもと違った堅い空気が張り詰めていた。
この日は東京ボールパークを本拠地とするティターンズの今シーズン最終戦であるというだけでなく、あの大打者シンゴの引退の日でもあった。
ティターンズで7年プレイし、5回の本塁打王と5回の首位打者、6回の打点王に輝いたシンゴは、ワシントン・フーリガンズに10年間在籍し、3回の本塁打王、4回の首位打者、そして3回の打点王を獲得し、日本に凱旋した(@wぷ
古巣であるティターンズがシンゴを獲得するのは既定路線とも言えたが、ティターンズがシンゴの年棒を払えるかと誰もが危ぶんだ。実際、ティターンズの親会社のテレビ局は多チャンネル化と地上波デジタル化による競争と設備投資のせいで経費が嵩み、とても金を回せる状態には無かった。シンゴがいた10年前とは異なり、チームの成績も低迷していた。
結局球団の親会社が新株を発行して年棒のための資金を捻出したというもっぱらの噂である。
かく言う俺はティターンズの去年のドラフトで入団し、打率.301、本塁打21本、打点72をあげて新人王になった青田勉という。シンゴは再入団してから2年目で、打率.241、本塁打14本、打点50を挙げた。シンゴは自らの体力の限界を認識し、引退を決意したわけだが、俺としてはシンゴから学ぶことは技術面、生活面を問わず多かった。
たとえば、「ベン、スウィングというのは、形じゃないねん。音なんや」
というアドバイスは耳にいつまでも残っている(@w荒
俺がスランプに喘いでいた8月の初め、広島カーズとの3連戦の最後の試合、1点差ビハインドで7回2死2塁3塁の好機にあっさり凡退し悄然とベンチに引き下がった後にシンゴはそのアドバイスをしてくれた。
俺の名前は「勉(つとむ)」だが、シンゴは俺のことを「ベン」と呼んだ。彼のフーリガンズでの同僚でもあり、親友でもあった選手にベン・コーエンというユダヤ系アメリカ人の内野手がいたが、俺を彼に比するつもりがあったかどうかはわからない。
ともかく、そのアドバイスは俺の心の奥深い処を直撃し、俺の何かが変わった。
9回表2死、レフト前ヒットを放ったシンゴを1塁に起き、俺は左打席から右翼席に逆転本塁打をかっ飛ばした。
その日は広島原爆投下の日だった。俺は広島の人々にすまなく思いながら、ダイアモンドを回った。
9月15日、ジャガーズとの第二戦にティターンズはベンチの野手を全てつぎ込み、最終的には好機にバッティングの良い投手の荻原を代打に送るほどの総力戦で臨んだが、武運拙く敗戦し、チームの優勝の望みが消えた。シンゴは黙ってロッカールームに消えた。翌日、俺はホテルでスポーツ新聞を見て仰天した。
曰く、「シンゴ引退」
俺は驚いてシンゴの部屋のドアを激しく叩いた。
ドアを開けてぬっと出てきたシンゴにぐちゃぐちゃになったスポーツ新聞を示し、声を荒げて記事の真偽を問いただした。
すると、シンゴは無精ひげを生やした顎を動かしながら、「ああ、そうや。本当や」と答えた。
俺は肩を落として「嘘だ・・・嘘でしょうシンゴさん」と魂の抜けた虚ろな人形のように何度もつぶやいた。それは目の前にいるシンゴに対する質問ではなく自分への暗示だった。
初めてプロ野球を見に行ったのは、12年前。ティターンズとジャガーズの試合だった。やや暑くなり始めた7月始めのナイターだった。俺は父に連れられて3塁側の席に座り、シンゴを見ていた。俺は試合前の打撃練習のときにベンチに戻ってきた今よりも少しスリムだったシンゴにサインをねだった。シンゴは一回莞爾と笑い、俺が渡したボールにサインしてくれた。
それは今でも俺の宝物で、実家のベッドの横に置いてある。その年にシンゴは大リーグに移るという噂が流れていた。その試合、シンゴは俺の目の前で2本のホームランを打ってくれた。
大リーグ移籍後も俺はシンゴを追っていた。小学校、中学校と野球部に籍を置き、高校では2年の春と3年の夏に甲子園に行くことができた。
3年の夏では3試合連続で1試合2本のホームランを放ち、プロのスカウトの目に留まった。チームは準決勝で稲月という名投手を抱える真原工業高校に敗れたが、稲月は決勝戦の最終回、味方の痛恨のエラーで真紅の大優勝旗を逃してしまった。
稲月はそのままジャガーズのドラフトに掛かったが、俺はプロには進まず大学に進学した。大学でも幸い良い成績を残すことができ、ティターンズのドラフト1位指名を受けた。
現在の東京ボールパークに目を移そう。
稲月が投球練習を始めている。
奴もシンゴを追ってきた一人だ。
ルーキーの年に13勝を挙げた稲月は日本代表に選ばれ、シンゴと共にワールドカップでプレイする機会に恵まれた。武(ウー)監督率いる日本代表は、苦戦しつつもシンゴの打棒と稲月のピッチングで勝ち進み、決勝でアメリカと対戦した。
当時大学生だった俺は日本チームを応援しつつも、そこにいられない悔しさと稲月に対する羨ましさでその場にいたたまれない思いもあった。
最初アメリカが4点を先取したとき、もう優勝は無いと日本列島全土が意気消沈したが、6回から登板した稲月がほぼパーフェクトのピッチングを見せた。8回に満塁とした日本は、死球による押し出しの後、4番のシンゴに打席が回ってきた。既にアメリカでの活躍によりシンゴの恐ろしさを知っているアメリカチームの監督ミッターマイヤーは満塁であるにも関わらず敬遠を決め、その指示に従って投手のアービンが山なりの球を放った。
大学の生協でたまたまカレーを食べながら俺はその試合を見ていたが、アービンが投げた敬遠のボールは、死んでいた。
当時の記事によると、アービンは本当のところシンゴと勝負したかったのだが、ベンチの指示で敬遠をしなければならなくなり、精神的に腐っていたという。
たとえ敬遠の球でも気合を入れなければそれは棒球である(@w荒
ボールは、シンゴが出すバットに引き寄せられるかのような軌道を辿り、インパクト後左翼場外の大ホームランとなった。
ジョンソン・ボールパークは熱狂と失望が肌(はだえ)刺す、栄光と悲劇の場となった。あるアメリカ人はその日を第二の9.11と呼び、また別のアメリカ人はジョンソン・ボールパークを第二のグラウンド・ゼロと呼んだ。アメリカのニュースはこの場面を生中継で流しており、シンゴがホームランを打った瞬間に全米で30人の老人がショック死し、40人の鬱病患者が自殺した。
日本は野球発祥の地アメリカで世界一となり、翌年から大リーグでワールドシリーズはアメリカシリーズに名前を変えた。
その時以後、大リーグで選手として素晴らしい活躍をしてきたシンゴに対するアメリカ国民の態度は微妙に変化した。長年の功績があるにも関わらず、フーリガンズが契約を更新しなかったのもこれが原因の一つとされている。
また契約不更新のより直接的な原因として挙げられるのがアッシュビーの疑惑の衝突事件である。ニューヨーク・ウォーリアーズのジョン・アッシュビー3塁手がシンゴと衝突した事件だ。アッシュビーはワールドカップにおけるアメリカチームの主将であり、シンゴによる屈辱のホームランは彼の瞼に焼き付いていたはずだ。
ビデオを見ると、どう見てもアッシュビーが故意にシンゴに衝突している。シンゴはこの事件で右脚を痛め、選手生命を短くした。今年引退することになったのも、結局はこの時のケガが原因だ。
俺はその事件以後、大リーグに行く気を無くした。
(注:シンゴの引退試合から2年後、大リーグに移った稲月はアッシュビーへの頭部死球により退場させられる)
おや、過去の経緯を振り返っている間に試合がいつの間にか始まっているようだ。
一回表、ジャガーズ三者凡退。
一回裏、稲月の速球とシュートの前に一番と二番が凡退。三番の三井は2-3まで粘った、かに見えた。だが、俺には分かった。稲月はわざとこのカウントまで投球を運んだのだ。
なぜか?
シンゴと一打席でも多く勝負をするためだ。
三井への第六球目は明らかなボールだったのを見て、俺はその思いを強くした。
シンゴがネクストバッターズサークルから立ち上がると、球場が篭ったような唸りを揚げ始めた。
シンゴはヘルメットをやや撫でながら打席に立つと、それは咆哮に変わった。
バッターには誰でも打撃に入るまでの儀式がある。自分の心を整えていくための仕来りというか、自分を落ち着かせるための決まった仕種があるのだ(@w荒
俺の場合は左打席に立ってからバットでベースの五角形の左上をぴったり三回叩く。右の掌を丸めて唇の前で息を貯める。それからバットの先を見つめて準備が終わる。
シンゴの場合は右打席に立ってから左手でバットを二回大きく回し、右肩をグリグリと回してから後ろに反り返る。ファンが20年見てきたお馴染の仕種だ。
稲月は切れ長の目をギラギラさせながら、第一球を振りかぶった。
ストレート。真ん中高めの剛速球で文句無しのストライクだ。俺はネクストバッターズサークルの中からでも、その球の生きの良さは感じられた。今日の稲月は絶好調だ。
第二球は外角低めにまたも直球。これもコースぎりぎりだがストライクだった。
シンゴは二球とも凝っと見送った。
俺はひょっとして稲月がシンゴに対して今日に限ってというか今日を最後に全て直球で勝負するのではないかと思っていた。
三球目。
シンゴは外角高めの速球に何とか随いていった。ライト方向へのファウル。
間違い無い。稲月は必殺のシュートを封印し、全て直球でシンゴを打ち取ろうとしている。だが、その直球は全力の剛速球であり、決して手抜きという種類のものではない。
二人の時間と距離が勝負の一点に向かって収縮していくのを俺は目の当たりにした。
稲月が第四球を振りかぶる。
腕が撓る(しなる)。顔の表情が歪み、黒いアンダーシャツが鞭のように振られ、その端にある掌からボールがシンゴの方へ伸びていく。
シンゴは、その球に手が出なかった。
一番好きなコースのはずだったのだが。
これが衰えというものだろうか。俺はふと寂しくなって、ヘルメットを外してそこらに置きっぱなしにし、そのまま守備についた。
二回表、ジャガーズは三者凡退。
二回裏。俺は稲月のシュートに全く手が出なかった。
三回表、試合が動いた。ジャガーズは三連打を集中させ、2点をもぎ取った。
三回裏は稲月がぴしゃりとティターンズ打線を抑え、序盤はジャガーズのペースで試合が進んだ。
四回表、ジャガーズ無得点。
四回裏、稲月は二番、三番を簡単に打ち取った。
シンゴが再びバッターボックスに立った。
球場全体が生き物のような叫び声を上げ、球界の至宝の最終試合における二度目の打席のお膳立てが出来上がった。
稲月が内角低めへ投じた渾身の剛速球は、シンゴの肘を畳んだスウィングに乗せられ、レフトへ飛んでいった。
ジャガーズの左翼手ウィルソンは、二、三歩ゆっくりと後退しただけでそれ以上ボールを追うことを止め、スタンドに入っていくボールを見送った。
まさにシンゴの全盛期そのもの、力と技の均衡が取れた芸術的バッティングが蘇ったといって良かった。
シンゴの日米通産第563号に、球場は蜂の巣を突付いた騒ぎとなった。万歳をする者たち、抱き合って喜ぶ者たち、泣き出す者たち・・・それだけではない。ついにファンが5人ほどフィールドに飛び出し、シンゴを追って走り出した。
警備員たちが彼らを捕まえようとしたときだった。
「今日だけは、ええやないですか」
シンゴの声に、警備員たちは歩みを止め、シンゴとファンたちがホームに着くのを見守った。
興奮するファンたちと握手したシンゴは、帽子を取って満場のファンに挨拶した。
シンゴの背番号45が、心なしか泣いているように感じた。
次の打者である俺は、稲月はあのえげつないシュートにまたもや全く手が出なかった。
五回表、ジャガーズは三者凡退。
五回裏、ティターンズは八番藤川が内野安打を放ったが、後続が続かず無得点に終わった。
六回表、ウィルソンがレフトスタンドへホームランを放ち、スコアは3対1となった。
六回裏、稲月は一番と二番をいとも簡単に打ち取った後、再び三番の三井に四球を与えた。
稲月がまたやりやがった、と俺は思った。だが、責める気にはならない。だから俺の顔はむしろ笑っていた。単に敵チームの投手の気まぐれなのでどうでもいいというのではなく、一人のプロ野球選手としても稲月のやり様は心憎いものがあった。ジャガーズのベンチにしても稲月の投球を全く非難している様子は無かったし、球場全体も同じ気持ちだった。
皆、共犯だった(@wぷ
稲月はシンゴに対して変化球は投げない。だが、投げる球は一つも手抜きのない150km/h台の剛速球ばかりだった。稲月はシンゴに力と力の勝負を挑んでいるのだ。
三振かホームラン。ファンも、俺たちもそれしか望んでいなかった。それはシンゴという大選手の引退試合にのみ許される、プロとプロとの真剣な「プレイ(遊び)」だった。
稲月が子供に戻ったような目をして真ん中高めにホップする剛速球を放ると、シンゴがそれを思いっきり空振りする。ヘルメットが吹っ飛び、シンゴの大きな躯が大きく回転して倒れこむ。
力と力の勝負に、球場は沸いた。
シンゴが、三球とも思い切り空振りして三振を喫した時、稲月の投じたボールの速度は、158km/hを記録した。
たとえ三振でも、シンゴが稲月の剛速球に対してこれだけの空振りを見せてくれればファンにとってそれはホームラン一本分に値しよう。俺もファンも納得し、満足し、興奮したシンゴの打席だった。
七回表一死。ジャガーズはヒットと四球で一塁二塁のチャンスを迎えたが、ダブルプレイでチャンスを逃した。
七回裏。俺は先頭打者だった。流石に稲月にやられっ放しというわけにはいかない。俺は稲月のえげつないシュートを捨てて、直球だけを狙うことにした。二球目のややボール気味の直球を、俺は上手く流し打ちし、一塁に身を置いた。しかし、後続打者が続かずティターンズは得点を挙げることはできなかった。
八回表。ジャガーズは無得点。
八回裏、稲月も踏ん張り三者凡退。
九回表、ジャガーズは再びウィルソンが大飛球を上げたが、俺が何とかフェンス際で補球し無得点に抑えた。
九回裏、先頭打者で今まで稲月にコケにされてきた三番ミツこと三井が意地を見せた。難しいシュートを上手く引っ張り、レフト前ヒットとした。
シンゴが打席に近づくと、球場は割れんばかりの歓声に包まれた。九回裏。3対1。シンゴがホームランを打てば同点である。
稲月はこの期に及んで逃げるような奴ではない。ジャガーズのベンチも全く動かない。エースの稲月を信頼しているし、この試合の意義を理解しているからだ。
プロとしての力と力の対決。この場面はそれ以外のものは存在するはずがない。
第一球。153km/hの剛速球がど真ん中に決まった。
シンゴはこれに手が出なかったが、それは余りにも良いコースで意外だったからに違いない。だが、何にせよ、ど真ん中だ。少し照れくさそうな、それでいて英気に満ちた視線をシンゴは稲月に向け、それを見た球場は「うぉおおおぉおおおおお!!!!」という野獣の咆哮にも似た歓声に包まれた。
稲月、ひょっとしてお前この打席はど真ん中しか投げないつもりなんじゃないか・・・稲月の初球を見て俺の心にそんな考えが浮かんだ。
その予想は正しかった。
次もど真ん中だった。しかも、第一球目にも勝るとも劣らない生きの良い剛速球である。
「舐めるな!」
右肩をピクリとさせたシンゴが声なくそう叫んだように思えた。
豪快なスウィング一閃、シンゴの打球は三塁手の左へ飛んだ。
しかし、ファウルラインぎりぎりでボールは地に落ちた。
塁審は一瞬フェアを宣告しようとしたかに見えた。
だが、彼の視線の先には、走り出しもせず、バッターボックスに仁王立ちするシンゴの燃えるような眼があった。
「ファウルだ!」
シンゴの眼は確かにそう言っていたのだろう。
「ファウル!」
塁審は、明らかにシンゴに威圧されてファウルを宣告した。
もはや、誰もその判断を否定する者は球場にはいなかった。ホームランか三振以外はもはや認められなかった。
はっきり言うと、既に皆少々狂っていた(@wぷ
稲月は第三球目を振りかぶった。160km/hの剛速球がストライクゾーンのど真ん中を目指して座標を切り結んでくる。
その球は、シンゴのバットに引き寄せられるかのような軌道を描いていた。主観的には、インパクトと同時に打球はレフトスタンド場外の方向に消えたが、それは大きくポールから逸れていた。
球場は失望のため息と同時に、喜びの歓声も含まれていたことは決して不思議ではない。もう一球、シンゴの打席を見られる。
もう一回、シンゴのスウィングが見られる。
それならば喜ぶしかないではないか?
さらにもう一球の怪しいファウルともう一球のレフトスタンドへの大ファウルをネクストバッターズサークルで見ながら、俺はこの時がずっと続いてくれまいかという戯けた願望を抱くに至った。
決着なんぞ別につかなくても構わない。ずっとこのまま二人が力と力の勝負を続けてくれれば、それでいい。
この瞬間、俺はプロ野球選手でも何でも無かった。スタンドのファンと同じ、一人の野球ファンであり、シンゴから一番近いところにいたシンゴファンだった。
いや、ひょっとして「シンゴから一番近いところにいた」というのは間違っているかもしれない。あのどう見ても怪しいファウルに何も言わない主審の佐藤や、客観的に見ればチームの大ピンチでしかないこの状況下、稲月にど真ん中の直球を投げ続けることを認めたキャッチャーの加納もこの勝負に魅せられ、シンゴのファンと化していたのかもしれなかった。
ジャガーズの選手たちもこの勝負を心から楽しんでいるようで、彼らの眼は俺たち選手がみないつかそうであった野球少年の眼に戻っていた。
もはや、敵も味方も、選手も観客も審判も無かった。
皆がシンゴと稲月の勝負の虜だった。
だが、その夢のような時間も終わりがやってきた。
稲月の剛速球がキャッチャーのミットに収まり、ヘルメットが再び吹っ飛び、シンゴは膝を地につけた。
人々のため息は泡(うたかた)のように大気に吸い込まれ、消えていった。
あれほど盛り上がった球場の空気が一瞬お通夜のようになったが、俺が打席に向かっていくにつれて再び沸騰し始めた。
そうだ。俺がホームランを打てば同点となり、もう一度シンゴの打席を見られるかもしれない。観客はそれに気づいたのである。
無論、俺の打席では稲月は直球勝負などしないだろう。
あのシュートを打ち崩さなければならないのだ。
素人がよく勘違いするが、プロの戦いというものは肉体の戦いというよりも大部分が心理戦だ。相手の心を読み、配球を当てることができない選手は一軍に残ることはできない。
俺は現在の稲月の心を読んでみた。
シンゴとの球史に残るほどの名勝負を終えた稲月の心は、エネルギーを使い果たし、その残量は現在ほぼカラのはずだ。
俺との勝負もほとんど上の空ではないだろうか。
俺は未だに興奮で宙を泳いでいるかのような稲月の視線を見てそう判断した。
奴はまだシンゴとの勝負の余韻に酔っている。
確かにこの試合、あのえげつないシュートに切り切り舞いさせられた俺の分は悪い。
しかし、今の稲月ならば付け入る隙は十分にある。
今回、俺は自分のバッティングをすることよりも、稲月を打ち崩すことに焦点を置くことにした。
これはどういうことか?
まず、プロの打者は確固たる自分の打撃フォームをもっており、それが崩れなければ凡退してもそれを良しとする風潮がある。たとえ相手投手の投球に合わせてフォームを崩してヒットを打ったとしても、それでフォームが崩れれば後々不利となるからだ。
だが、俺はフォームの均斉性への欲求を捨てて、どのような形にせよ稲月の球にくらいつくことを優先することにした。
前に広島で打ったときのように、三番の「ミツ」こと三井や四番のシンゴが言ったように、形はどうあろうが良い音のスウィングだけに集中することにしたのだ。
「後は頼む」
ベンチに下がるシンゴの丸坊主頭からそんな声をすれ違い様に聞き、俺は打席に立った。
第一球目は内角低めのシュートと俺は読んだ。
稲月は未だに空を飛んでいるかのような熱に浮かされた目で第一球目を振りかぶった。
ボールは俺の狙い通りの軌跡を辿った。
俺は内角のボールを肘で畳んで完璧に打つ技術は持っていないので、いつものフォームを崩し、足の位置を大きくずらして内角に思い切り空間を作った。
そのとき、稲月の表情は間違いなく一瞬で変わった。
下から引っぱたくようにインパクトを加えられたボールは、センターバックスクリーンに一直線に突き刺さった。
同点である。
球場の興奮は再び最高潮に達した。
だが、俺がダイアモンドを回り、ホームベースを踏んでベンチに帰ってチームメイトのハイタッチを受けた後、不思議な光景が現出していた。
何と、ティターンズのファンたちが、六番の住吉に対して「三振!三振!!」と叫び始めたのだ。
その叫びは、最初は小さいものだったが、段々と大きくなり、ジャガーズのファンも加わって球場全体を覆った。
ファンはシンゴの打席をもう一度見たいのだ。
この回でのサヨナラ勝ちなど、誰も全く望んでいないのである。
「狂ってる・・・」
俺はそう思ったが、実のところ俺も全く同じ気持ちだったのはここだけの話だ。
このときの住吉の何ともいえない表情を、俺は一生忘れない。
結局住吉は空気を読んで、四球目を派手に空振りした。
七番の曽根も結局空振り三振に終わった。
十回の表と裏は、両チームとも三者凡退、そして十一回表も同じ結果に終わったのは、全ての選手、監督、コーチが納得づくであったせいかどうか俺にはわからないことにしておく。
十一回裏、ややスタミナの切れ始めた稲月はそれでも二番と三番を何とか打ち取った。
シンゴが、ゆっくりと打席に向かっていく。
シンゴの名前がウグイス嬢に呼ばれているはずだったが、あたかもシンゴの一歩一歩ごとに地響きのような歓声が沸騰し、ほとんど聞き取れない。
リーグのルールによると、以後延長戦は無い。
本当に最後の最後の打席だ。
ジャガーズの小林監督が小走りにマウンドに近づいたとき、投手交代と思ったティターンズのファンのみならず、ジャガーズのファンからもブーイングが沸いた。
シンゴを打ち取るにせよ、またシンゴに打たれるにせよ、シンゴのプロ野球選手としての最期を看取る投手は稲月以外にはいないというのが敵味方を問わず一致した思いだった。
シンゴとの魂を震わせる対決を見せてくれるのは、奴しかいない。
俺も小林監督の振る舞いに疑問を覚えた一人だった。
だが、小林監督は別に稲月をマウンドから降ろすためにやってきたわけではなさそうだった。彼も1シーズンに1試合くらいは、勝ち負けだの小手先の打算だのを度外視したゲームがあってもいいことは理解していたのだ。
彼は単に稲月を激励するために出てきただけだった。
疲れが見える稲月に対して、逃げずに堂々とシンゴに立ち向かえと言葉を掛けたということが後日明らかになっている。
投球に入る前、稲月は深呼吸を二、三度した後、帽子をとって深々とシンゴに対してお辞儀をした。その姿に、ティターンズのファンもジャガーズのファンも深い感動を覚えた。
すると、驚くべきことにシンゴもヘルメットを取って稲月、キャッチャー、審判、観客にお辞儀をした。
球場はさらに深い感動に包まれた。
一つの時代が終わろうとしている。
人々はシンゴの過去の活躍に思いを馳せ、この偉大な打者がバットを置く刻が来たことを心の深い処で思い知った。
日本で、アメリカで、記録にも記憶にも残るプレイを見せてきた大打者の去り行く姿を、人々は心に刻もうと目を見開いた。
第一球。146km/hの直球が外角低めに決まった。
確かに速い。
だが、稲月の球威は明らかに落ちていた。
第二球。シンゴは外角高めのストレートを捉えた。
インパクトの瞬間、俺には時間が止まったように思えた。
一瞬、意識が空白となった後、
気づいてみると打球は右翼席中段に飛び込み、サヨナラホームランとなっていた。
球場はこの予定調和とも言えるような結果に全く不満を覚えることなく、怒号のような歓声と興奮に包まれた。
だが・・・・シンゴは打席から動かなかった。
やがて、
「ベン、こっちこいや!」
とシンゴが場内の歓声に掻き消されないよう大きな声で俺を呼んだ。
「肩貸してくれや・・・歩けへん」
無理もない。シンゴの体は既にボロボロだったのだ。
最後の力を振り絞ってホームランを打った瞬間、彼の脚はついに使い物にならなくなった。
俺はシンゴに肩を貸しながら、一緒にダイアモンドを回り、ホームインした。
チーム全員に祝福されたシンゴは、何度も胴上げされ球場は興奮の中敵味方関係無く一体となった。
その後、引退式とシンゴの引退宣言があったはずだが、俺は正直よく覚えていない。
シンゴと一緒にベースを回っていたとき、俺の頭は興奮と喜びで真っ白になっていたからだ。
シンゴは、今も俺たちと一緒に戦っている。
監督として、俺たちの後ろに立っているのだ(@w荒
完